選評
芸術・文学2018年受賞
『凱旋門と活人画の風俗史―儚きスペクタクルの力』
(講談社)
1969年生まれ。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学(基礎文化研究専攻)。
博士(文学)。現在、九州大学大学院人文科学研究院准教授。
著書:『ボルソ・デステとスキファノイア壁画』(中央公論美術出版)、『もっと知りたいボッティチェッリ 生涯と作品』(東京美術)、『西洋美術の歴史4 ルネサンスI』(共著、中央公論新社)など
本書の題名を見て、ああそうかとピンと来る人はまずいないだろう。「凱旋門」は西洋美術に関係しそうだが、「活人画」とはそもそも何か、しかもこの二つをつなぐ回路がさっぱり見えてこない、というあたりが普通の反応ではないか。
読んでみると次第にわかってくる。古代ローマに端を発する凱旋門だが、実はルネサンス期には君主の入市式の壮麗な行列を迎える仮設建造物、つまり華やかだが仮初めのお飾りとなるハリボテ凱旋門であった。同じく入市式に組み込まれたのが仮設舞台で演じられた活人画(の原型)で、複数の人間が静止して「キリスト降誕」「パリスの審判」といった絵画のような場面を作り、君主称揚のページェントに花を添えた。
もはや言うまでもないであろう。凱旋門と活人画の共通点とはその場限りで消滅するスペクタクルであること、エフェメラル(束の間の、一時的な)という特質なのだ。著者はイタリア・ルネサンス美術を専門とする研究者だが、本来は残存するモノを研究対象とするはずが、消えてしまうモノを復元する試みに足を踏み入れた。それも、これまで聞いたこともないような組み合わせで。
本書の白眉は後段にある。近代以降、凱旋門と活人画は別々の道を歩む。仮設の凱旋門は国民国家の記憶となる戦勝記念として作られ続け、西洋文化を移入した近代日本においても、日清、日露戦争後にハリボテ凱旋門が数多く制作された。だが、著者の声音がひときわ生彩を放つのは、近代になって前景に躍り出た活人画の運命(さだめ)を語る件である。
18世紀に誕生した本来の活人画は上流市民階級の娯楽という役割を担った。それ以前との違いは、ゲーテの『親和力』における活人画の場面が示すように、模倣すべき原作があるかどうかで、生身の人間たちがポーズして有名な絵を束の間再現するのに打ち興じ、公的な場の余興としても採用されたという。その後、大衆化の道を歩む活人画は、19世紀後半には民族主義的なイヴェントで演じられ、ボロディン、シベリウス、ミュシャなど作曲家や画家たちも関わる一方で、一般家庭でも流行していた。ただし、無視できないのは、それが裸体見物の場、ひいてはショウ・ビジネスや性風俗産業にも組み込まれたことで、西洋から活人画を輸入した近代日本における大衆化の帰結を新宿帝都座の額縁ショウに見るという流れで、本書は幕を閉じる。
犠牲者あっての戦勝を祝う凱旋門と日本のヌードショーにまでつながる活人画。とすれば、あらゆる芸術、芸能の根源がそうであるように、「凱旋門と活人画」とはまさしく死とエロスの別称ということにもなろう。だからこそ、美術と見世物を架橋した本書のテーマは、他のジャンルとも縦横に交差していくに違いない。演劇、小説、写真のみならず、バレエ、オペラ、映画などともまた。
スペクタクルの持つ力や機能を浮かび上がらせるための資料・文献調査は行き届いているが、図版を刈り込んで大きく見せる配慮があってもよかったか。芝居好きの趣味が高じて西洋美術史と近代芸能史を力業でつなげた著者が、奇書(?)を連発することを密かに期待している。
三浦 篤(東京大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)