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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗2017年受賞

福間 良明(ふくま よしあき)

『「働く青年」と教養の戦後史 ―― 「人生雑誌」と読者のゆくえ』

(筑摩書房)

1969年生まれ。
京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了(歴史社会学専攻)。博士(人間・環境学)。出版社勤務(書籍編集)、香川大学経済学部准教授などを経て、現在、立命館大学産業社会学部教授。
著書:『「反戦」のメディア史』(世界思想社)、『「戦争体験」の戦後史』(中央公論新社)など。

『「働く青年」と教養の戦後史 ―― 「人生雑誌」と読者のゆくえ』

 着眼がいい。昭和三十年代に確かに層として存在しながら、語られることが少なかった勤労青年と、そして彼らが愛読していた人生雑誌を取り上げる。社会の隅に生きていた者、現在では忘れられている雑誌を研究の対象にする。社会・風俗部門にふさわしい。
 高校や大学に進学したかったのに家の経済事情で行けなかった。十代なかばの若さで、家を離れ、実社会に出なければならなかった。彼らの無念、悲しみに寄り添ったのが、『葦』『人生手帖』に代表される人生雑誌だった。恥ずかしいことに、同時代を生きていたにもかかわらず、私はこれらの雑誌のことを知らなかった。それだけに本書は新鮮であり、「もうひとつの青春」の存在を教えてくれる。
 著者は、現在はなくなった人生雑誌を丹念に読み込むだけではなく、当時の編集者や読者に会い、話を聞いている。現場の熱気がある。書斎のなかだけの仕事に終わっていない。この点でも、社会・風俗部門にふさわしい。
 「若者」というより「青年」と呼んだほうがいいだろう。上の学校には進めない。といって「マンボにうつつをぬかす連中」とも違う。向上心があり、知識や教養への憧れが強い。著者は、人生雑誌を読み直すことで、彼ら下積みの青年たちの思いを知ろうとする。
 「なんでおれは上の学校へ行けないんだ」という悔しさ、学歴への憧れと、それとは裏腹のコンプレックス、知的エリートへの反発。彼らの屈折した心情が切実に浮かび上がってくる。勤労青年を語ると、ともすれば「働く者は清く正しい」ときれいごとになりがちだが、著者は彼らの疎外感、孤独、劣等感にもきちんと目をやる。戦没学徒遺稿集『きけわだつみのこえ』のエリートたちへの反発にははっとする。これは後年の全共闘運動への彼らの違和感にもつながってゆく。
 人生雑誌の編集者からは、のちに文筆家になる者も出た。『あゝ野麦峠』を書いた山本茂實。東京空襲を記録する活動で知られる作家の早乙女勝元。大和書房を創業、自らも古代史研究の著書を書く大和岩雄。著者は、彼らのことも視野に入れている。幅広く「昭和三十年代の貧しさ」が語られてゆく。
 以前から、疑問に思っていたことがある。集団就職。東北などから東京に働きに出てくる。多くは中卒者で、東京の下町の町工場や商店に就職してゆく。貴重な労働力がなぜ、大企業ではなく町の零細企業なのか。著者はその背景を簡潔に教えてくれる。
 中卒者でも、都市出身者と農村出身者のあいだには格差があった。比較的恵まれた労働環境にある大手企業は、近場の都市出身者を採用した。労務管理のコストを抑えられたから。地方の中卒者は、零細な工場や商店に行かざるを得なかった。これが集団就職を生んだ。中卒者のあいだにも格差があった。集団就職とは、そういうことだったのか。教えられた。
 東京オリンピックの頃から、日本の社会が相対的に豊かになり、高校の進学率が高まってゆくと、「上の学校に行けない」青少年は減ってゆく。それと共に、人生雑誌も減ってしまう。「どう生きるか」から「どうやったら金が儲かるか」に内容が変わってゆくという指摘も面白い。
 いま、言うまでもなく、決して貧困や格差がなくなったわけではない。かつて人生雑誌に救いを求めていた層は、いま何を拠りどころにしているのだろう。

川本 三郎(評論家)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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