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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗2017年受賞

遠藤 正敬(えんどう まさたか)

『戸籍と無戸籍 ―― 「日本人」の輪郭』

(人文書院)

1972年生まれ。
早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了(政治学専攻)。博士(政治学)。
現在、宇都宮大学、埼玉県立大学、大阪国際大学、早稲田大学、東邦大学非常勤講師、早稲田大学台湾研究所非常勤次席研究員。
著書:『近代日本の植民地統治における国籍と戸籍』、『戸籍と国籍の近現代史』(共に明石書店)など。

『戸籍と無戸籍 ―― 「日本人」の輪郭』

 現在、日本国籍を持たない無戸籍の「日本人」が一万人にも及ぶという。しかし、この表現は正確ではない。制度では、戸籍を持たない人々は、日本人として認められないからだ。
 日本国民の登録を目的とした戸籍制度は、国家が国民を管理統合するために維持されてきた制度である。そのため、登録から直接・間接に除外された人々は、正しい日本人とは見なされない存在として長く差別や偏見の対象となり続けてきた。
 あわせて戸籍が「家」もしくは「家族」への所属を基本とし続けてきたことで、戸籍制度の存在は家に属していなければまっとうな日本人ではないという道徳律の定着を促す土壌でもあった。さらに言えば、国家とは究極的な一家であり、その家族の頂点に天皇が位置するという物語に順応するよう、戸籍制度は巧みに国民を誘導してきたのである。
 日本社会を語るとき、家族という概念に基づいて考察した思想研究はこれまで数多ある。しかし、家思想を制度的に強化してきた社会背景を語る方策として、家より排除された無戸籍に着目することを想起した筆者の着眼は、実にオリジナルかつシャープである。
 その上で日本社会の形成に強い影響を及ぼしてきた戸籍がなければ私たちの生活は立ち行かなくなるのかという問いに対する回答も明快に「ノー」だ。個人化・流動化が進むなかで、固定した家族や国民よりも、移動し得る個人である住民の権利確保こそが、行政では実質上重要視されている。公共サービスを受けるとしても、戸籍証明は今や形骸化した手続きの一部にすぎず、多くの場合、住民票で本来事足りる実情を、私は本書で初めて知った。
 制度運用の歴史でも、戦争によって戸籍を失った移民や残留者には思いのほか厳しく、一方で国内の棄児にはなぜか寛容であるなど、明確な基準は必ずしも存在してこなかったという。戸籍にまつわる国家の判断が状況に応じて機会主義・御都合主義的になされてきた事実を喝破できたのも、一般にはわかり得ないよう難解に表現された先例などの行政文書を、政治史学者として地道に読み込んできた筆者の技量によるところは大きい。
 社会・風俗にまつわる優れた学芸からは、その時代やその場所に生きた大衆の多様な喜怒哀楽や、そこから浮かび上がるやり切れない嗚咽やため息が、複層的に聴こえてくる感覚を覚えることがある。筆者は、現代社会を覆う無戸籍者に対するいびつな言説という実際の声に対する違和感が、執筆に挑む原動力につながったという。
 ただ本書は、無戸籍者の声を一つひとつ拾い集め、代弁するといった直接的なアプローチを意図的に選択しなかった。むしろ、戸籍制度を「安定的に維持することが国益になると信じる支配層が憑依したつもりで書くこと」を筆者は密かに心がけたという。そのアイロニカルな試みは、戸籍という奇異な社会装置を、躊躇なく受け入れ続け、周囲にある悲しみの存在の認識を怠ってきた我々読者に、静かな反省と憤りの感情を芽生えさせることに成功している。
 上位からの視線を敢えて演じつつ、制度に翻弄されてきた名もなき無戸籍当事者の姿を的確に描き出した遠藤氏の力量は、まぎれもなく社会・風俗部門の受賞に値するものである。

玄田 有史(東京大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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