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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学2017年受賞

金子 遊(かねこ ゆう)

『映像の境域 ―― アートフィルム/ワールドシネマ』

(森話社)

1974年生まれ。
慶應義塾大学環境情報学部卒業。
大学在学中にライターとしてデビュー。現在、批評家、映像作家、慶應義塾大学環境情報学部非常勤講師。
著書:『辺境のフォークロア』(河出書房新社)、『異境の文学』(アーツアンドクラフツ)など。

『映像の境域 ―― アートフィルム/ワールドシネマ』

 金子遊氏は、その名前「遊」が象徴しているように、様々な領域を遊ぶように自由に越境してきた。まず金子氏は『ベオグラード1999』、『ムネオイズム 〜愛と狂騒の13日間〜』、『インペリアル 戦争のつくり方』といったユニークな映画の数々を手がけた監督である。また同氏は『辺境のフォークロア』を書いた民族誌研究者でもある。さらに文芸批評家としては『異郷の文学』という一冊の評論集を既に上梓している。
 そして今回サントリー学芸賞の対象となった『映像の境域――アートフィルム/ワールドシネマ』は、欧米アヴァンギャルドの実験映画から、世界の「周縁」各地で現在作られている「ワールドシネマ」に至るまで、幅広く視野にいれて論じた映画批評集だ。金子氏は映画関係の文章を書き始めてもう20年が経つというが、映画論の単行本としてはじつはこれが最初のものである。その20年の間に日本におけるアカデミックな映画研究は飛躍的な進歩を遂げていて、ゴダール映画の映像と音を0.1秒単位で精緻に分析したものから、溝口健二の映画における音響の効用に絞って分析した分厚い研究書まで様々な注目すべき成果がある。そういったものと比べた場合、金子氏の本は、厳密に一つの主題で統一された「モノグラフ」的な研究書ではなく、様々な題材について書き継いできたものをゆるやかにつなぎ合わせた批評集という性格が際立って見える。しかし、このように「ゆるやか」に境界を越えながら批評の営みを実践して今に至っていることこそが、批評家としての強靭さを示すものだろう。
 「映像詩の宇宙」と題された本書第一部では、フランス前衛の「ディスクレパン映画」から、クリス・マルケルの「エッセイ映画」、そしてメカス、メンケン、ジャック・スミスなどのアメリカ・アンダーグラウンド映画に至る流れを辿りながら、松本俊夫やドゥルーズの理論も援用して「映像詩」の世界を探求している。簡潔ながらも、日本ではきちんと論じられることの少ない分野の「詩学的」考察として貴重なものだろう。本書はその後、ラテンアメリカ、イラク、パレスチナ、グルジア、ロシア、そして最後には沖縄まで視野を広げて――映画を観て分析するだけでなく、時に現地まで足を運んで――映画の詩的想像力と民族誌的観察力が切り結ぶ様を(これが金子氏の言う映画の「境域」だ)実況中継してくれる。そして本書の最後に置かれたのが、「映画評論家」ではなく「失業革命家」と自称した松田政男についての論考であるのも興味深い。金子氏は、ここで映画批評と社会の関係という「古い」問題に意図的に立ち返ろうとしている。
 確かに全般に少々古風なパラダイムにのっとった論に聞こえる箇所も散見されるのだが、互いに結びつきにくそうなものも軽やかに結びつけ、金子遊という一人の旗印の下にまとめるその生き方そのものが、クリエーターでもあり批評家でもある氏の真面目と言うべきであって、その闊達さは古いも新しいも既に超越しているようにも見える。今後、金子氏によってさらに切り拓かれる「境域」から、どんな新しい風景が見えてくるのか、楽しみだ。

沼野 充義(東京大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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