選評
政治・経済2017年受賞
『フランス再興と国際秩序の構想 ―― 第二次世界大戦期の政治と外交』
(勁草書房)
1977年生まれ。
パリ政治学院大学院歴史学研究所修了。Ph.D.(History)。
松山大学法学部法学科講師を経て、現在、松山大学法学部法学科准教授。
著書:『複数のヨーロッパ』(共著、北海道大学出版会)など。
「国家の栄光」を語り続けたシャルル・ド・ゴール。通念では、亡命先のイギリスで自由フランスを率いてレジスタンスとともに敢然とドイツと戦い、大国としてのフランスの地位を守った偉大な指導者として、戦中戦後のフランス外交を率いたとされる。ここに、宮下雄一郎氏は正面から挑む。第二次世界大戦勃発とともにあっけなくドイツに敗れ、ペタンのもとドイツと友好関係を保つ権威主義国家となったヴィシー政府も、もう一つのフランスであった。敗戦国フランスはいかにして戦勝国となり、大国フランスとして返り咲いたのか。宮下氏は、フランスの外交文書を徹底的に渉猟して、この過程をじっくりと浮かび上がらせる。
自由フランスはイギリスのチャーチル首相の支持を得るが、アメリカのローズヴェルト大統領は、終始これに疑惑の目を向け、ヴィシー政府を正統なフランス国家とみていた。何と言っても、統治機構と領土を堅固に備えたヴィシー政府と比べて、当初はまともな行政機構さえないビルの一室を借りるだけの存在であったのだから。正統な国家としての「フランス」を、自由フランスとヴィシー政府は奪い合う。
ド・ゴールの最初の勝利は、旧植民地なかんずく北アフリカの掌握に成功したことであった。そして次の課題は戦後構想。まず打ち出したのは、経済統合を軸とした「西ヨーロッパ統合」である。米英ソの間でエネルギーを押さえ込まれていた「マグマのようなヨーロッパ」をフランスの国益に沿うよう統合することが目指された。だが、これにはソ連やポーランド亡命政府が警戒し、統合の軸となるベルギー亡命政府との交渉が長引いて、結局は実現に至らなかった。西ヨーロッパを基盤とした大国フランスの再興はならず、それは普遍的国際機構すなわち国際連合の設立過程に持ち越された。
そしてときに1944年8月。ド・ゴールはパリに入城し、ヴィシー政府を非合法化し、共和国政府を再建する。イギリスの尽力で、米英ソに並ぶ大国として安全保障理事会の常任理事国の候補となったフランスは、西ヨーロッパ統合構想を通じて連携を試みた小国の期待を振り切り、大国間協調の枠組みのもと、国連設立時の主要国となるのである。
かくして、国家としての自立を希求しつつも、イギリスなどの連合国に依存せざるを得なかった自由フランスは、状況対応の外交を重ね、西ヨーロッパ統合という地域主義を断念した果てに大国の一角を占める。この「後味の悪い歴史」の中で、宮下氏が強調するのは、ド・ゴールを含めたリーダーたちの成功と挫折であり、モネら外交官たちの構想と交渉であり、制度なき運動体としての自由フランスが名実ともにフランス国家となり、戦勝国となるアクロバティックな過程である。ド・ゴールは、局面打開に苦闘しつつも多数の有能な外交官の補佐を得て、徐々に自らのもとで国家の形態を整え、世界を見渡す指導者となるのである。この重厚な内容を受け止める宮下氏の筆致は、起伏に富み、かつ説得的である。結末に向かう最終第7章がやや平板に流れているため、全体の印象を薄めているのは惜しいが、今後に期待してみたくなるところでもある。海外での粘り強い史料収集によって肉薄した国際政治の現場を味読したい。
牧原 出(東京大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)