選評
芸術・文学2016年受賞
『乱舞の中世 ―― 白拍子・乱拍子・猿楽』
(吉川弘文館)
1974年生まれ。
東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(表象文化論専攻)。博士(学術)。
日本学術振興会特別研究員などを経て、現在、青山学院大学総合文化政策学部准教授。
著書:『今様の時代』(東京大学出版会)など。
芸能史にはブラック・ボックスとも言うべき空白があって、研究者の多くがそれと知りつつ、どういうわけか、それをそのままにして、現在にいたっている。本書はその穴を埋めるべく書かれたもので、その責めを十分に果たすとともに、新進研究者の仕事らしい「発見」に満ちている。
著者が対象とした白拍子や乱拍子といった芸能は、今は滅んで幻想の彼方にある。加えて白拍子や乱拍子はリズムを主体とする芸能だから、文字を用いて人に伝えるにはとてつもない困難をともなう。本書はこの二重の壁をクリアーして、「幻想」を現前させている。緻密な調査を活用してのよく考えられた構成と、ゴールを見通してのぶれのない論考が、この結果をもたらしたのだと言ってもいい。すなわち、プロローグの「乱れる中世」から「乱舞の時代の幕開け」「白拍子の世界」「乱拍子の世界」「〈翁〉と白拍子・乱拍子」「能と白拍子・乱拍子」という章立てで、「乱舞の身体」というエピローグに至る。
戦乱の時代だった中世に、身分の上下を問わず、乱舞が一大流行する。平安時代は基本的にメロディの時代だったが、その末期から中世のはじまりにかけて、鼓を伴奏楽器とする白拍子や乱拍子というリズミカルな芸能、乱舞が登場した。これがたちまち一世を風靡するうち、白拍子は源義経の愛人だった静御前のような女性芸能者の芸能として完成し、プロの、見せる芸能として愛好される。一方、乱舞の代名詞となる乱拍子は、即興性と勇壮な足拍子を持ち味として、僧兵のような下級僧侶たちの延年の芸能として盛行を見る。が、別の道を歩みはじめた白拍子と乱拍子は、それぞれ後世の芸能に大きな影響を与える。それが能楽だった。
室町時代に観阿弥・世阿弥父子によって完成を見た能楽は、「幽玄」という日本的な美意識の結晶として世界的に知られている。しかし、そのルーツとも言うべき『翁』は、その成立に関して今も謎めいた扱いを受けたままで、解明が進んでいない。ところが、実はその芸態には、白拍子や乱拍子の影響があり、そもそもは「幽玄」という美意識とは別次元にあったのではないか。
ここに至る論考が本書の白眉であり、確かな説得力がある。『翁』は観阿弥・世阿弥によって大成される能楽の二百年も前からあった芸能だが、今も各地に残る民俗芸能に面影があるごとく、「式三番」と称される曲に登場する翁や千歳や三番叟は、それぞれが白拍子や乱拍子という乱舞の流れを受けている。のみならず、現在、ほとんどの能の中で一曲の中心になっている「クセ」は、そもそもが観阿弥が当時の流行芸能である前期曲舞(くせまい)を取り入れたものだが、それが白拍子舞の系譜にある芸能だった。
能楽をはじめとする中世文化は、庭や茶の湯など「幽玄」とか「わび」とか「さび」という厳粛で枯淡な美意識で語られがちだが、「乱舞」という窓から見ると、従来とは別の風景が見えてくる。
本書はそういう新しい視点を与えてくれるという意味で、新進ならではの大きな実りだ。
大笹 吉雄(演劇評論家)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)