選評
政治・経済 2015年受賞
『市民を雇わない国家 ―― 日本が公務員の少ない国へと至った道』
(東京大学出版会)
1980年生まれ。
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了(政治学専攻)。博士(法学)。
首都大学東京社会科学研究科准教授を経て、現在、東京大学大学院法学政治学研究科准教授。
論文:「事例研究の発見的作用」(『法学会雑誌』第54巻1号所収)、「告発と政策対応」(『国家学会雑誌』第119巻第7・8号所収)など。
世界相場から見て、日本の政府の規模が小さいことはあまり知られていない。公務員が「ダブついている」職場が多いというステロタイプのイメージがまかり通っているからだ。しかし現実には、長時間労働が日常化している公務員の職場はめずらしくなく、全体として見れば、人口に占める日本の公務員の割合は他の先進国に比べて極めて低い。本書は、この事実を種々の統計数字で確かめた上で、「では何故、日本の公務員数は少ないのか」と問う。
この問いに答える方法が実に手際よい。著者は、日本の公務員数がいつから他国に比べて少なくなり、その増加が頭打ちになったのはいつかをまず確定する。そして行政改革に取り組んできた諸外国で、公務員数の増加が止まったのはいかなる政策問題に直面したためなのか、そのタイミングを日本の場合と比較している。この探究プロセスが周到で論理も明晰だ。
分析の結果、戦後長く公務員数が増加した欧州と異なり、日本では戦後の早い時期に、公務員数の増加に対して「歯止め」がかかった点に注目する。戦後の公務員の給与は「人事院勧告」によって決まってきた。したがって民間の給与が上昇して行けば公務員給与も連動して上昇した。そのため財政を圧迫し、財政政策の自由度は低下した。1964年4月、日本はIMF8条国に移行、国際収支の悪化を理由とした為替取引の制限が禁止され、円が「交換可能通貨」となった。その結果、国際収支問題に直面し財政引き締めの必要が生じた場合、公務員給与の上昇が起これば、財政政策の余地は狭まり、その効果は弱まらざるを得なくなった。固定為替相場を維持するための景気コントロールの手段を確保するために、公務員数を制限する必要が生じたと著者は指摘する。その「総仕上げ」が1969年の「行政機関の職員の定員に関する法律」(いわゆる「総定員法」)で、この法律によって公務員総数の最高限度が規定されたのである。
「人事院勧告」方式とは異なる制度、とくに公務員給与を団体交渉に委ねた英国のケースとの比較が興味深い。英国の公務員数の増加に「歯止め」をかけたのはサッチャー政権下ではなく、サッチャー登場前の労働党のキャラハン政権の時代であった。国際収支問題に悩んだ英国は、財政緊縮へと方向転換し、「不満の冬」を経ながら公務員数の増加を抑制する方向へと進んだのである。
本書で強調された日本の人事院勧告制度が、公務員給与のフレキシビィリティーをどれほど奪ったのかはさらなる統計的検定が必要であり、公務員の量的制限が女性の社会進出をどの程度阻んだのかも、何らかの実証テストが今後期待されるところである。
著者が議論の中で政策上の史実を適切に例示していくところにもセンスの良さが光る。本書の最大の魅力は、著者が立てた自前の問題を、政治、行政、経済政策、国際収支の問題と関連させつつ、骨太な構想力で解き明かしたところにある。歴史的な視点をもつ鋭い現代政治経済論を、強い関心をもって読み終えることを喜び、実証的な政治分析の領域での若い才能の今後に期待したい。
猪木 武徳(青山学院大学特任教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)