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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学 2015年受賞

安藤 礼二(あんどう れいじ)

『折口信夫』

(講談社)

1967年生まれ。
早稲田大学第一文学部卒業(史学科考古学専修).
大学卒業後、出版社の編集者を経て、現在、文芸評論家、多摩美術大学美術学部芸術学科准教授。
著書:『神々の闘争 折口信夫論』(講談社)、『光の曼陀羅 日本文学論』(講談社)など。

『折口信夫』

 安藤礼二氏の長編評論『折口信夫』は530ページを超える堂々たる大著である。これまでの同氏による長年にわたる折口研究を集大成した偉業であることは間違いないが、それはこれで折口研究が尽くされ、完成したということではない。むしろ、本書のダイナミックな展開は、さらなる多くの魅力的な探索の領域へと読者を誘っている。その意味では、本書は「決定版」というよりは、大いなる開かれた本と呼ばれるに相応しい。
 著者が巻頭で述べているように、折口信夫は「民俗学と国文学が交わる地点に独自の古代学の体系を打ち立てた」人物である。彼の思想と著作は、決して完結した閉ざされた世界ではなく、むしろ古今東西の様々な声が呼び交わす豊かな交通の場だった。安藤氏はこのような折口の思想形成の現場に大胆に分け入り、これまで膨大な研究と評論が積み重ねられてきたにもかかわらず、必ずしも十分に解き明かされてこなかった折口の全体像に迫ろうとする。
 まず、「起源」「言語」「古代」「祝祭」とそれぞれ題された最初の四章では、折口の生涯を追いながら、彼の思想形成の過程に秘められた「謎」の解明が試みられている。特に注目されるのは、折口に決定的な影響を与えたと考えられる柳田國男との出会い以前の時期に焦点を合わせた部分である。ここで著者は、「純愛教」という特異な教義を掲げる神道系団体である神風会と、そこに依拠した本荘幽蘭という「妖婦」、さらに一元論哲学を唱えて「新仏教」を切り開いた藤無染という「美しい僧侶」に着目し、彼らとの交流のうちに折口信夫の「真の起源」を見出した。これは折口の伝記の中でも、これまで言わば隠されてきた部分であり、ここまで踏み込んで折口の「起源」を読み解こうとする試みはかつてなかった。
 次の四章は「乞食」「天皇」「神」「宇宙」という主題を立て、折口古代学の思想的構造を描き出す試みになっている。そして論考は、「狂ったように彷徨しながら、狂ったように歌を詠む」という折口の「宇宙の核心」に説き及ぶ。
 実際、安藤氏が折口信夫という土台の上に繰り広げる壮大な曼荼羅のごとき模様はめくるめくものだ。仏教学者ケーラス、一元論哲学を唱えたマッハ、その流れを受容した鈴木大拙、さらに比較言語学者、金沢庄三郎と、絡み合う参照項目はどんどん広がっていき、最後にはさらには西脇順三郎、井筒俊彦、平田篤胤、エドガー・アラン・ポー、ステファヌ・マラルメ、レヴィ=ストロースといった名前が次々に呼び出され、折口を論じていたはずの書物は、古代語・外国語との自由な行き来を通じて繰り広げられる世界文学の場に変容する。模様の織りなし方には、いささか大胆すぎるのではないかと感じさせるものが時折混じってくるが、飛翔の陰にはつねに地に足のついた厳密な読みがあって、その両者があいまって安藤氏の信ずる批評の実践になっている。他者の残した言葉の織物を、解釈を通じて新たな言葉の織物に編み直すこと。それはまさに折口が行ったことだが、その折口に肉薄しながら、批評家としての安藤氏は同じことを、折口を素材として実践してみせてくれた。

沼野 充義(東京大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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