選評
社会・風俗 2014年受賞
『木琴デイズ ―― 平岡養一「天衣無縫の音楽人生」』
(講談社)
1967年生まれ。
京都市立芸術大学大学院音楽研究科修了(打楽器専攻)。
マリンバのソリストとして、作曲や編曲の委嘱を活発に行い、独自のレパートリーで活動。近年は、演奏・執筆を通じて木琴の復権に力を注いでいる。
著書:『天使突抜一丁目』(淡交社)、『ソデカガミ』(PHP研究所)など。
通崎睦美さんはマリンバ奏者、木琴奏者として活躍している。木琴は、マリンバより歴史のある打楽器だが、楽器のなかではマイナーな存在で一般に「子供のおもちゃ」と低く見られてしまうことが多い。通崎さんはこれではいけないと考える。きちんと木琴の歴史を辿りたい。
そこで興味を持ったのが、日本の木琴奏者の第一人者だった平岡養一(1907‐1981)。私などの世代には平岡の演奏する「お江戸日本橋」が懐しいが、どういう人だったかは知らなかった。
通崎さんは、縁があって遺族から平岡が使っていた木琴を見せられ、その小さい楽器に魅せられる。京都に暮し、骨董好きでもある通崎さんはまず木琴に触れ、そこから平岡養一の人生を辿る。物語の始まりに、平岡への敬意がある。
評伝は、何よりもまず対象への敬愛がもとにならなければならない。そして徹底的に調べてゆく。古本屋によく足を運び古い資料を探してゆくアナログ的手法にも好感が持てる。
平岡養一は、戦前、22歳の若さで当時「木琴王国」だったアメリカに渡った。武者修行だった。ほとんど独学で学んだというのが凄い。やがてニューヨークの朝のラジオ番組に出演、それが10年以上も続き「全米の少年少女は平岡の木琴で目を覚ます」とまで言われるようになった。
通崎さんは、平岡養一の人生を辿ると同時に、木琴というマイナーな楽器の歴史、木琴が次第にマリンバへと変わってゆく変化もとらえている。ひとつの楽器の背後に時代の変化を見ている。生き生きとして、スケールが大きい。「社会・風俗部門」にふさわしい。
平岡養一のニューヨークでの活躍は、太平洋戦争の勃発によって終わり、帰国を余儀なくされる。どんなに無念だったか。その挫折から立ち上がり、戦後の混乱期の日本で、再び木琴の音色を響かせる。通崎さんは、平岡の「戦後、戦犯問題が起こった時に日本の音楽家から戦犯の容疑者が一人も出なかった(略)」という言葉を引用するのを忘れない。評伝であると同時に、現代史の面もある。
よく調べているなと感心するのは、たとえば、木琴が「おもちゃ」と思われていた一例として森鷗外の短篇「桟橋」(1910)を挙げる。横浜港の桟橋の描写に、鉄橋の梁に桁が「子どものおもちゃにする木琴のようにわたしてある」と書かれていることを指摘する。
あるいは、平岡養一と親交のあった作曲家の
平岡の伯父に野球好きがいて、その人は「日本で最初にカーブを投げた男」として知られているというエピソードも面白い。思いもかけない話が次々に登場し、まさに軽やかな木琴の演奏を聴いているよう。
最後には驚くべき写真がある。10歳の通崎睦美さんが、70歳の平岡養一さんと『チャールダシュ』を演奏している。子供の頃から縁があったのだ。
通崎さんには、受賞を機に、書く仕事も続けてほしい。
川本 三郎(評論家)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)