選評
芸術・文学 2014年受賞
『言語起源論の系譜』
(講談社)
1972年生まれ。
東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(言語情報科学専攻)。博士(学術)。
株式会社岩波書店に入社。雑誌『思想』編集長を務める。現在、株式会社講談社に勤務。
著書:『フェルディナン・ド・ソシュール』(作品社)、『エスの系譜』(講談社)
互盛央氏の『言語起源論の系譜』が提起する最大の問題は、本書が結果的に『言語起源論の歴史』になっているのではないかということである。ミシェル・フーコーの「系譜学は『起源』の探求に対立する」という言葉を引きながら、本書は系譜を扱っているのであって、歴史を扱っているのではないと、互氏は冒頭に断っている。そこには「言語の起源という問題は、現に与えられている重要性をもたない。この問題は存在すらしない」と言うソシュール自身の言葉も添えられている。だが、本書は、「ギリシアから近現代にいたる『言語起源論』の流れを追えば、それはそのままヨーロッパの思想展開史に重なる」という本書帯に記された宣伝文が端的に語るように、実質的に「思想展開史」「西洋思想史」になっているのではないか、そしてむしろそこにこそ本書の魅力があるのではないか。
言語はどのように発生したのかという問い、始原の言語への問いは、結果的につねにイデオロギーとして機能してきた。ヘロドトスはその『歴史』に、エジプト第二十六王朝の王プサンメティコスが最初の言語を調べるために赤子を用いて実験した話を書き記している。最初の言語はエジプト語ではなくプリュギア語だったというのだ。そこには、「現にエジプトを脅かしているアッシリアもペルシアも、正統な民族ではないという点でエジプトと大差ない」と思いたかった当時のエジプト人の欲望が反映していたのみならず「若かりし日に生地ハリカルナッソスの親ペルシア政権の打倒を企てたこともあるギリシアの歴史家ヘロドトスの欲望も反映されていたはずだ」と互氏は述べている。じつに興味深い指摘だが、以後、歴史上に登場したさまざまな言語起源論は、あるときにはヘブライ語の優位を語り、あるときはラテン語の、あるときはゲルマン語の優位を語ってきた。こうして、イデオロギーとして機能してきた言語起源論の流れをたどれば、立体的な西洋思想史ができあがるわけであり、互氏の『言語起源論の系譜』は見事にそれを実現しているわけだが、それではその『言語起源論の系譜』はいったい互氏のどのような欲望を反映しているのだろうか。互氏が結果的に体現しているのはこのような根源的な問題である。
歴史学は過去を問い、系譜学は現在を問う。現在においてイデオロギーとして機能しない歴史はない。現在を問う系譜学がイデオロギー批判として登場した理由だが、互氏はこの現在への問いを詩人たちの発語のなかに見出そうとする。その象徴が、歴史から食み出した存在であるカスパー・ハウザーであり、詩人たちは多かれ少なかれこのカスパー・ハウザーに自身を投影してきた。ヴェルレーヌやリルケやトラークルなど、互氏の引用する詩はきわめて示唆に富むが、それは同時に、詩とは対照的に、散文がつねに物語を、歴史を、イデオロギーを担わざるを得ないという事実をも示唆している。互氏はすぐれたストーリー・テラーだが、それこそ言語そのものの欲望というべきだろう。博覧強記の互氏の著作の芯に潜むのはこの欲望、ほとんど小説家的なこの欲望であり、まさにその欲望においてこそ今後の活躍が期待される。
三浦 雅士(文芸評論家)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)