選評
政治・経済 2014年受賞
『先進国・韓国の憂鬱 ―― 少子高齢化、経済格差、グローバル化』
(中央公論新社)
1965年生まれ。
京都大学大学院法学研究科博士後期課程退学(政治学専攻)。博士(法学)。
大阪市立大学法学部助教授、韓国高麗大学客員教授などを経て、現在、神戸大学大学院法学研究科教授。
著書:『韓国経済の政治分析』(有斐閣)、『選挙管理の政治学』(編著、有斐閣)など。
普通の、過不足のないおつき合い、それが意外に難しい。とりわけ日本にとって、米国、中国、韓国のような近所で最重要の国々との間がこじれやすい。日米は20世紀の前半に激突し、太平洋で死闘を繰り拡げた。その悲劇をかみしめた戦後は、互いに気配りをもって大事にする関係を再構築し、驚くべきことに70年にわたり友好と同盟を切らさずにいる。
日米とは逆に、普通のやわらかな関係を安定させ得ないのが日韓である。無理もない、と言うべきかもしれない。日米がそれまでの認識不足と偏見に満ちた自己主張を、太平洋戦争でぶつけ合い、飛び散らせたのに対し、韓国はその瞬間まで日本帝国の支配下にあった。民族のあらゆる不幸の起源を外国支配に帰する想いは、戦後の時代に容易に薄らぐものではない。韓国社会は、日本人の振る舞いが無神経だと憤り、日本人の好意と善意をそれとして受けとめることができない。そのことに、戦後世代の日本人は「いいかげんにしろ」と嫌韓に傾く。
このような状況にあってもっとも難しいのは、相手を自己との関係においてでなく、相手を相手として内在的に理解する知的営みである。本書の意義は、まさにそれを行ったことにある。
日本におけるあらゆる世論調査が、国民の主要な関心は暮らし向き=経済にあると告げるが、韓国も同様である。韓国の場合、1997年の東アジア経済危機の津波をかぶり、IMFの融資を新自由主義的改革を条件に受けいれた。保護主義を脱し規制緩和を行って、グローバル化した経済と金融に自国社会をさらす。その痛みに耐える中で、韓国には国際経済の海面に浮び上った競争力ある財閥系企業が世界に雄飛する一方、国内における格差の増大が政治社会問題化した。新自由主義的な通商政策と、国内の社会福祉政策をどう組み合わせ、切り分けるか。
それをめぐる政策パッケージのあり方こそが、21世紀を迎える韓国社会の中心テーマであり、本書は、金大中、盧武鉉、李明博の3つの政権が、このテーマにどう取り組み、どんな帰結――それはしばしば意図せざる逆説的結果であった――をもたらしたかを精緻に解き明かす。そして次に登場した朴槿惠政権が直面することになる問題状況までを語る。
経済政策をめぐる政治は、通常、政治学者にも経済学者にも扱いにくい問題である。政治学者は経済のメカニズムをこなし難いし、経済学者は経済政策の政治的帰結に関知しない。本書を読んで感銘を覚えるのは、日本の比較政治学者が、韓国の政治社会と経済を何のりきみもなく切り捌いていることである。
韓国政治といえば、長く地域主義が根強かったが、本書が対象とする時期にそれは相対化され、代って保守派対進歩派のイデオロギー対抗軸が猛威を振うに至ったとする。それは、金、盧の進歩派政権が新自由主義的な通商政策と社会民主主義的な福祉政策との同時進行を追求しながら、福祉の量的充実に失敗する要因となり、かつ李、朴の保守政権を行き詰まらせる壁ともなったという。いつの日か、この対抗軸も相対化される時が来るに違いないが、その時の韓国社会に、植民地支配の過去ゆえの日本の悪いイメージが、過去のものとなっているか否か、気になるところである。
五百旗頭 真(熊本県立大学理事長)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)