選評
思想・歴史 2013年受賞
『地中海帝国の片影 ―― フランス領アルジェリアの19世紀』
(東京大学出版会)
1974年生まれ。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。
日本学術振興会特別研究員、大阪大学大学院人間科学研究科特任研究員、学習院女子大学専任講師などを経て、現在、学習院女子大学国際文化交流学部准教授。
論文:「オラン」(『伝統都市1 イデア』(東京大学出版会)所収)など。
現代フランス史においてアルジェリア戦争が残した傷痕は、われわれ日本人が感じる以上に大きい。もしド・ゴールが現れなかったらアルジェリア戦争をきっかけにフランス社会は完全に分断され、1970年代の高度成長はなかったかもしれないのだ。ところが、そのような歴史の重大な転換点であったにもかかわらず、アルジェリア戦争を理解しようとすると大きな困難に遭遇することとなる。なぜあれほどまでに泥沼化し、過激なテロ合戦にまで発展したのかその根本原因がいまひとつ明確にならないからだ。
本書を読むかぎり、その根本原因のひとつは近世のアルジェリア史にある。
オスマン帝国の辺境だったアルジェリアには1830年にフランスに征服される以前から地中海都市を中心とした統治的枠組みが存在し、私掠、商業、外交という交渉回路を通じてヨーロッパとつながれていた。
しかし、植民地化後は逆にその統一性が統合・同化を遅らせることになる。
第二帝政期に、ムスリム原住民は宗教的帰属にもとづく属人法規にしたがいフランス民法の適用を受けない臣民とされた。ところが、第三共和制期に、「ムスリム」という宗教的帰属がエスニックな範疇へと変容していったことで、ムスリム住民の市民権獲得への道は閉ざされることになる。
問題はもう一つあった。それは、アルジェリア植民者にはスペイン人やイタリア人などの非フランス系集団が多く含まれていたことである。アルジェリアがフランスの一つの県という扱いを受けるようになると、出生地主義による1889年の国籍法が必要となり、ヨーロッパ系住民も「フランス人」に統合されるが、しかし、そのために、こうしたフランス国籍を持つ「ヨーロッパ系市民」と臣民である「ムスリム原住民」という二極化が生じ、二つの集団がともに「アルジェリア人」を名乗って対峙する構造ができあがっていくのだ。この対立構造が二十世紀にアルジェリア戦争として噴出することになるのだが、著者はそちらの方面に筆を進めることなく、フランス人東洋学者によるムスリム法研究と土地問題を第二章として取り上げ、そうした対立構造は思っているほど単純なものではないことを明らかにしてゆく。というのも、帝国主義的な枠組みの中で破壊と収奪を合法化する法学者の試みがあったが、その傍らでは矛盾や欠陥を指摘し、異文化理解の困難さを認識していた実務家たちの内部批判も見られたからである。
著者はさらに、これらの法運用の面でも二元論や二分法では割り切れない複雑な現象が生じ、それが土地問題に反映されていたことを指摘する。「第三共和制期のアルジェリアは、ついに均質な空間となること」はなく、「逆説的なことに、空間の構造は、『同化』が標榜された植民地圏の中核において、もっとも入り組んでいたのである」。
抜き差しならぬ対立を生んだアルジェリア戦争の背景を、一筋縄ではいかないその複雑な要素を含めて見事に分析した最良の研究書として強く推薦したい。
鹿島 茂(明治大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)