選評
思想・歴史 2012年受賞
『トクヴィルの憂鬱 ―― フランス・ロマン主義と〈世代〉の誕生』
(白水社)
1979年生まれ
早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。博士(政治学)。
早稲田大学政治経済学部助教などを経て、現在、日本学術振興会特別研究員(東京大学)。
著書:『社会統合と宗教的なもの―19世紀フランスの経験』(共編、白水社)
ここ十年ほど、日本でもトクヴィルへの関心が急速に高まってきている。マルクス主義全盛の時代には、歴史の流れに逆らった保守的政治家・歴史家として扱われていたトクヴィルだが、ソ連の崩壊で社会主義の道が閉ざされてからは、唯一残された選択肢である民主主義を徹底考察した予言者として高く評価されるに至っている。
本書もそうしたトクヴィル・ルネッサンスの流れに棹さす一冊だが、類書と異なるのは、トクヴィルもまた「絶対」に憧れるロマン派特有の「憂鬱」に冒された世紀病患者の一人ではなかったかという視点を導入したことである。つまり、ロマン派的憂鬱がトクヴィルをしてアメリカという未知の国へと旅立たせ、新しい民主主義の発見へと導いたのではないかというかたちで問題設定をした点にある。トクヴィルは、平等化が進んだアメリカに未来のフランスの可能性を見ようと試み、その成果を帰国後の1835年に『アメリカのデモクラシー第一部』として著した。トクヴィルはアメリカで発見した「個人の利益追求が結果的に全体の利益につながるという発想」はフランスでも適用可能と信じたのだが、七月王政下で社会の平準化が進むにつれて、やがてことはそれほど単純でないと悟るようになる。民主政治の宿痾たる無関心と嫉妬の問題に気づいたからである。こうして五年の時を経て書かれた『アメリカのデモクラシー第二部』ではトクヴィルの関心がシフトし、民主主義社会における無力感と無関心が主たる関心事となる。
著者は、こうした平準化社会における無力感と無関心が嫉妬と羨望を呼び起こす現象を同時代のバルザックにおいても描かれていることを指摘しながら、トクヴィルが七月王政下で突き当たった問題意識を次のように要約する。
「無関心な社会で各人が他人を意識するのは一見矛盾しているが、当人の精神構造においてはなんら矛盾ではない。無関心な社会に生きる人間は、他人にそれ自体として(その他在において)関心をもつわけではなく、人は自己の存在を確定させるための尺度としての他人を意識するのである。」
つまり、民主主義社会においては他人は自分の位置と大きさを定める定規として意識されるだけなのであり、嫉妬や羨望もそこから生まれることになると。トクヴィルはこうした分析を通じて、人間の自律可能性を前提とする近代理論がある種の神話でしかないと悟るにいたるが、そうした絶望にもかかわらず、トクヴィルは絶対や完全を希求しつづけることをやめなかった。その意味ではトクヴィルは、理性とは理性では計り知れない次元があることを認めることだとしたパスカルに近い思想家だったのである。
このように、本書は、従来、アメリカ的な文脈のみで語られ、その冷徹な観察眼だけが称賛されてきたトクヴィルを、不可能な夢にとりつかれて憂鬱に陥った元祖ゼロ世代(1800年に始まるディケード生まれ)の一人と認識し直すことで、新しいトクヴィル像を描き出すことに成功したといえる。
トクヴィルを現代的なコンテクストで読み替えようとする意欲作として高く評価したいと思う。
鹿島 茂(明治大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)