選評
芸術・文学 2012年受賞
『イメージの地層 ―― ルネサンスの図像文化における奇跡・分身・予言』
(名古屋大学出版会)
1967年生まれ。
京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。京都大学博士(人間・環境学)。
日本学術振興会特別研究員などを経て、現在、京都造形芸術大学教授。
著書:『カラヴァッジョ鑑』(共著、人文書院)
本書は、14世紀から16世紀にかけてのいわゆるルネサンスの時期の図像文化を対象として、きわめて斬新な視点からその意味と役割の解明を試みた重厚な労作である。通常、この時代の芸術に関しては、古代文芸復興に基く人文主義の思潮を背景に、現実再現的技法を有力な武器として新しい表現様式が生み出され、それとともに職人は「芸術家」になり、「礼拝のためのイメージ」の時代は「イメージそのものの礼拝」の時代へと移行したとする見方が広く行われている。だが著者は、このようなルネサンス芸術観に対抗して、これまでの美術史では忘れられていたような作例を含む多くの事例研究を通じて、そこには古くから伝えられて来た信仰形態や共同価値観、あるいは像をめぐる社会習慣や民間伝承などがなお根強く生き続けて「イメージの地層」を形成しており、それが図像の成立、継承や社会的機能、地位を大きく支えていたことを明らかにして見せた。そこで問題となるのは、作品の表現様式や技術的完成度などの「審美的」側面ではなく、あるいはそれだけではなく、広く「時代の精神的風土」とも呼ぶべきものとイメージとの複雑密接なからみ合いの様相である。そのため著者は、美術史学のみならず、社会学、宗教学、民俗学、文化人類学などの隣接諸科学の分野にも充分な眼配りを効かせ、綿密な実地調査と厖大な資料文献の博捜を重ねて、きわめて優れた記念すべき成果を纏め上げた。
全体は、それぞれ独自に設定された主題を扱う五つの章から成る。すなわち、14世紀のトスカーナ地方では聖母信仰の昂揚が高まり、ある特定の町が一時的に聖母崇敬の中心として多くの信者を集め、その熱狂が終息すると次に別の町で類似の現象が起るという聖母崇敬の流行と変遷が見られるが、その流行が中央の都市部を遠く離れた周辺部でまず燃え上り、次第にフィレンツェに近づいて最後にはその文化環境のなかに吸収される過程を辿った「聖なるものの地政学」(第一章)、災害などで損傷を受けた聖像を修復するにあたって、背景や衣装などは新しい様式で描き直されながら、最も重要な顔や手などは敢てもとのまま残すという方式が採られたことや、逆に容貌の特徴的な部位を強調して塗り重ねたり、さらにはその容貌を他の聖人に移行させる「横滑り」の例が見られることから、聖像の持つ力はイメージの継承によって保たれるという論理が働いていたことを論ずる「像の再活性化/無効化の力学」(第二章)、同様の論理と心性が世俗彫刻の分野でも認められることを、ライフマスクやデスマスクに基く肖像が像主の「分身」と見倣されて礼拝空間などで重要な役割を演じた事例を通して明らかにした「痕跡と分身」(第三章)、聖画像に登場する注文主の像は、単に聖なる場面に立ち会うだけではなく、古代以来の記憶術を応用した新しい宗教的瞑想法の実践者であり、画面はその瞑想による幻視の情景であることを解明した「『肉の目』と『心の目』」(第四章)、そして1500年という節目の年の前後、世界の終末の不安と新しい時代への期待がない混ぜになって著しく緊張が高まった時期に数多く生み出された幻視の聖母や怪物像などの図像の意味と役割を主題とした「予言と幻視」(第五章)がその内容である。いずれも多くの新しい知見と鋭い分析に富み、イメージ解釈の射程を大きく拡げたことは重要な功績と言ってよいだろう。
高階 秀爾(東京大学名誉教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)