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サントリー学芸賞

選評

政治・経済 2011年受賞

古川 隆久(ふるかわ たかひさ)

『昭和天皇 ―― 「理性の君主」の孤独』

(中央公論新社)

1962年生まれ。
東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。
広島大学総合科学部専任講師、横浜市立大学国際総合科学部准教授などを経て、現在、日本大学文理学部教授。
著書:『皇紀・万博・オリンピック』(中央公論社)、『戦時下の日本映画』、『昭和戦中期の議会と行政』、『大正天皇』(吉川弘文館)など。

『昭和天皇 ―― 「理性の君主」の孤独』

 戦前の昭和より、平成の方が「動揺」「沈滞」といった否定的イメージが強い。
 これは、2009年春、朝日新聞が行った世論調査の結果である。
 デフレが20年も続く「失われた時代」の果てに、平成という時代のイメージが茶色っぽく沈殿している。まさに、昭和は遠くなりにけり、ではある。
 それにしても、戦前、戦後を棒の如く貫く昭和とはどういう時代だったのか。その問いに答えるには、昭和天皇の真実をつかみ出す以外ない。それに肉薄することで、20世紀の日本の「失われた機会」にも迫ることができる。
 昭和天皇は、1901年に生まれ、1989年に満87歳で亡くなった。天皇は、20世紀という時代を丸ごと生き抜いた。そして、どの世紀よりも先鋭な技術革新と過酷な世界権力政治と熾烈なイデオロギー闘争に満ちたこの世紀の落とし子でもあった。
 あまりにもうぶな落とし子だったのかもしれない。ダーウィンの進化論を信じ、吉野作造の論文を掲載する『中央公論』を愛読した天皇は、政党政治と協調外交を国是とする民主的な立憲君主制を理想とした。
 しかし、そうした天皇の、そして日本の夢は、1930年代以降、ことごとく挫折する。天皇は、日中戦争に対しては既成事実を黙認し、太平洋戦争にあっては開戦を決断した。それによって天皇は生涯、戦争責任を問われることになる。
 著者は、このような天皇の理想の醸成とその挫折の軌跡を綿密に追いつつ、君主としてそれを実現しようとする際に直面した国家の意思決定の欠如と非条理、つまりは統治危機(ガバナンス・クライシス)の本質をえぐり出している。
 満州事変、日中戦争、日独伊三国同盟などでは、天皇は優柔不断であり、不甲斐なかった。その一方で、田中義一首相への叱責(張作霖事件)、ロンドン海軍軍縮条約成立への尽力、二・二六事件時の対応、防共協定強化問題、対米開戦までの過程、終戦時の「聖断」などでは、粘り腰で当たり、それなりの成果を生んだ、と評価する。
 本書を読みながら、天皇が軍部を相手にみすみす“不戦敗”を余儀なくされる局面で、なぜ、天皇はもっと粘らないのか、といったもどかしさを感じるのは私だけではないだろう。この「天皇の孤独」の場面を描くとき、著者の筆致がややもすればリフレーン調になるのがいささか物足りない。
 ただ、この本は、理想を求める昭和天皇の「孤独の戦い」の“戦記”として読むべきものなのである。
 天皇の、ある戦いはなぜ、戦い得て、別の戦いはなぜ、戦い得なかったのか。どの戦いが、惨敗だったのか。
 昭和天皇の究極の挫折は、旧憲法に裏切られ(天皇の絶対性、狭義の国体論)、そして国民にも裏切られた(国民の排外主義)ことだ、と著者は喝破する。
 この指摘はまことに重い。
 天皇がその都度格闘した、体制的負荷と官僚組織利害と独善的な民族主義という硬直的な政治力学を、平成の「失われた時代」を経た私たちは、かなりの程度想像することができる。
 この力学を感得するより確かな想像力とリアリズムを、本書は読者に与えるであろう。

船橋 洋一(慶應義塾大学特別招聘教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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