選評
社会・風俗 2011年受賞
『都市を生きぬくための狡知 ―― タンザニアの零細商人マチンガの民族誌』
(世界思想社)
1978年生まれ。
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科一貫制博士課程単位取得退学。
日本学術振興会特別研究員(PD)などを経て、現在、国立民族学博物館研究戦略センター機関研究員。
論文:「タンザニアにおける古着輸入規制とアジア製衣料品の流入急増による流通変革」(『アフリカに吹く中国の嵐、アジアの旋風』(アジア経済研究所)所収)
マチンガ、ウジャンジャ、マリ・カウリ。何やら不思議な言葉が頻出する。
はじめは腰が引けるのだが、読み進むうちにまたたくまに引き込まれる。アフリカの厳しい現実を描き出しているのに、にぎやかな祭りの場にいるような錯覚にとらわれる。
研究書だが、巷の熱気にあふれ、ノンフィクションを読んでいるような面白さがある。書斎や研究室から元気良くアフリカの町に飛び出していった若い学者の生きのいい行動力には感服する。
小川さんは、タンザニアのムワンザ市という都市(アフリカ最大の湖、ビクトリア湖の南東岸)に行き、町の経済を底辺で支える路上の商人たちを調査する。
マチンガとはその路上で商売をする零細商人のこと。ウジャンジャとは彼らが品物を売るために駆使する手練手管、知恵のこと。マリ・カウリとはマチンガのあいだで行なわれている商習慣である、口約束による取引のこと。いずれもスワヒリ語という。
調査と書いたが、小川さんは高いところからマチンガの実態を観察するわけではない。自分もまた一人のマチンガとなって彼らのなかに深く入り込む。対象となるマチンガは古着を売り歩く商人だが、小川さん自身もその仲間入りをする。
炎天下を、また雨のなかを両手に数十枚もの古着を抱えて売り歩く。五ヶ月を過ぎる頃には500人以上の常連客を持つようになる。何百人ものマチンガと親しくなり、客を巧みに騙す術も教えられる。
学者のフィールドワークではあるが、同時にジャーナリストのルポルタージュにもなっている。臨場感にあふれている。小柄な小川さんは彼らから見ると少女にしか思えない。それで可愛がられたのだろう。マチンガになって路上で商売をする。どこか『放浪記』の林芙美子の活力を思わせる。
マチンガはきちんとした店を持たない。屋台すらない。路上に古着を並べたり、自分で古着を持って売り歩く。わが「男はつらいよ」の渥美清演じるテキヤの寅さんのよう。
正規の商人ではないからしばしば警察の取締りの対象になる。それを巧みにかわす。「逃散、猫かぶり」「即興的な連携、素晴らしい演技力、変装、変幻自在な話術」。彼らはいわばトリックスターでもある。
マチンガにとって商売とは客との駆け引きであり、ときに騙し合いでもある。そこでウジャンジャという知恵が必要になる。金のない人間が都市の底辺で生きのびてゆくためにはウジャンジャしか武器はない。そしてそれはストリートで体験しながら覚えてゆくしかない。その意味でも「都市の路上は闘争のアリーナだ」という言葉が面白い。
アフリカの諸都市には戦いながら生きているこうしたマチンガが数多くいて、それが経済を支えているという。目を開かせてくれる。
日本から来た小さな女性がマチンガになる。小川さんは当然、町の超有名人になり、「調査地に空気のように溶け込む透明人間」という古典的な人類学の鉄則を捨てざるを得なかったという。愉快。楽しんで書いている喜びが伝わる。
川本 三郎(評論家)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)