選評
芸術・文学 2011年受賞
『アメリカ音楽史 ―― ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』
(講談社)
1970年生まれ。
慶應義塾大学大学院文学研究科後期博士課程修了。
日本学術振興会特別研究員(PD)、実践女子大学文学部専任講師、慶應義塾大学法学部専任講師などを経て、現在、慶應義塾大学法学部准教授。
著書:『文化系のためのヒップホップ入門』(共著、アルテスパブリッシング)、『村上春樹を音楽で読み解く』(共著、日本文芸社)、『ブルースに囚われて― アメリカのルーツ音楽を探る』(共著、信山社)など。
本書の第9章の末尾で、著者は1983年3月25日に初披露されたマイケル・ジャクソンのムーンウォークに触れる。
それは「月面散歩」というフューチャリズムと、19世紀半ばに流行した顔を黒塗りにした白人の芸人によるミンストレル・ショウにまでさかのぼるすり足のコンビネーションであり、顔を白くしたマイケルが、人種的他者を〈偽装〉しながら擬似的な「宇宙空間」で黒人のステレオタイプを演じたものにほかならない。
ここに見られる偽装願望が創造力の中心部に位置しているのが、アメリカのポピュラー音楽の特色だと著者は言う。本書の最大のポイントで、ムーンウォークはその一例だが、加えてそれが宇宙を指向していたのには、もうひとつの歴史があると指摘する。
アメリカがソ連と宇宙開発競争を展開した時期に、アフリカ系アメリカ人の音楽家はその歴史を独自の手法で表現に取り入れた。50年代から70年代にかけて「宇宙」をモチーフにした黒人音楽のグループやアルバムが多く見られ、中にはアヴァンギャルド・ジャズのサン・ラのように、古代エジプトのファラオの衣装をまといつつ、「宇宙」や「未来」をテーマにしたアーチストもいた。80年代以降もこの流れは途絶えず、やがてSF的な想像力を駆使する黒人作家の宇宙/未来/テクノロジー表象を「アフロ・フューチャリズム」と呼ぶようになった。その特色は「過去」と「未来」を同居させる点にあり、黒人にとって「未来」は「過去」に刻まれている。「過去」を何度も書き換えることで「未来」が訪れるが、この「差異をともなう反復」という特性はブルースからジャズ、ファンク、ヒップホップにいたる黒人音楽の系譜に流れている。それが「惑星的他者」の偽装として現れたのがマイケルのムーンウォークなのだ ――ということになる。
魅力的で説得力のある記述だが、著者は一方で本書のアメリカ音楽史が、書き換えられる可能性にも言及している。白人と黒人の音楽的融合、あるいは両者の人種的混淆の歴史に沿ってアメリカのポピュラー音楽のそれを分析する場合、決定的に欠落するものがあると言う。存在感を増しつつあるヒスパニックがそれ。では、どうすればいいか。
注目されるのはアメリカ文学や文化研究の領域に起こりつつある大きな変化、すなわち「アメリカ合衆国/カナダ研究」と「ラテンアメリカ研究」に分かれていた境界を取り払い、「南北アメリカ大陸」をひとつの地政学的なフレームワークとして機能させようという試みである。アメリカ文化史におけるヒスパニックやラテンアメリカの重要性を強調するのは、「白」と「黒」の相互交渉の運動に「茶」という第三項を導入することになり、ここにこれまでとはまったく別の南北アメリカ大陸音楽史を浮上させる・・・・・・。
選書という制約があるにもかかわらず、本書は実に豊富で刺激的な視点に満ちている。同時に著者の次なる仕事を期待させずにおかない。受賞を心からお祝いする。
大笹 吉雄(演劇評論家)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)