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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学 2010年受賞

石原 あえか(いしはら あえか)

『科学する詩人 ゲーテ』

(慶應義塾大学出版会)

1968年生まれ。
慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。ドイツ・ケルン大学哲学部博士課程修了。Ph.D.取得。
日本学術振興会特別研究員などを経て、現在、慶應義塾大学商学部教授。
著書:Goethes Buch der Natur. Ein Beispiel der Rezeption naturwissenschaftlicher Erkenntnisse und Methoden in der Literatur seiner Zeit(Wuerzburg, 2005)など。

『科学する詩人 ゲーテ』

 相手が巨人であればあるほど、人は勝手な、あるいは類型的なイメージを抱きやすい。たとえばゲーテと聞いて何を連想するかと問われれば、多くの人がためらわずに「文豪」だと答えるだろう。
 もちろん、間違いではない。しかし、本書を読めば、これがいかにイージーなイメージか、だれもが痛感するに相違ない。まさに目からウロコと言うべきゲーテの意外な貌がページを繰るたびに現れて、わくわくしないではいられない。著者の長年の研鑽が集約されて、爽やかな筆さばきによる説得力と愛情にあふれたもうひとつの「ゲーテ論」に結晶している。
 まず、全体の見通しを示す簡にして要を得た「序章」がいい。ゲーテは詩人であると同時に、小国とはいえ最終的には内閣総理大臣まで務めたエリート官僚であり、銀鉱山再開発や道路整備、公共図書館の管理といった国家事業に携わったほかに、膨大な自然科学コレクションを収集・分析・整理し、自然科学各分野の論文を書いた自然研究者でもあった。しかも研究成果を学術論文にまとめる一方で、『親和力』や『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』、『ファウスト』第二部といった後期の文学作品に新しく得た科学の知識を積極的に応用している。その文学作品の真の面白さと味わいは「詩人にして官僚、並びに自然研究者」という職業のコンビネーションから生み出されているが、それだけに、ゲーテが活躍した時代の自然科学の知識や背景、また政治状況を把握しなければ分からない内容も多々ある。そこで本書では自然研究者としてのゲーテの貌を紹介し、文学鑑賞の一助にしたい……というものである。
 著者が「自然科学者」ではなく「自然研究者」という用語を使うのは、18世紀後半のヨーロッパでは、まだ自然科学者が職業として成立していなかった事情による。が、だからと言って、ゲーテが近代自然科学の興隆期に立ち会っていたことを忘れ、伝記的作品『詩と真実』の冒頭部分を読んで、天文学の前身である占星術に首までどっぷりと漬かっていた時代の人間であるかのように思い込んでは、作品を誤読すると著者は言う。ゲーテは科学の母胎になった錬金術の時代を過ぎ、さまざまに分岐していく近代科学の最先端に接していて、そのそれぞれに人一倍の興味を示した。著者はその様子を植物学、医学、物理学、天文学、測地学といった章立てにして、ゲーテとの関わりを丁寧に追う。その結果、姿を見せる意外な指摘のいくつか。
 『若きヴェルターの悩み』でイギリス庭園が舞台になっているのはなぜか。人体解剖実習に臨む外科医志望のヴィルヘルムの眼前の死体は、一体どこで調達したのか。雷の知識と避雷針が普及しつつあったころに成立したゲーテの自由韻律詩『プロメテウス』は、どう読むべきか……。
 著者によれば、拾い残した問題も多いという。その意味でのゲーテ研究の第一弾が本書だが、それだからこそこの勢いのまま、ゲーテの全体像に迫ってほしい。次なる成果が待ち遠しい。

大笹 吉雄(演劇評論家)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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