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サントリー学芸賞

選評

思想・歴史 2009年受賞

松森 奈津子(まつもり なつこ)

『野蛮から秩序へ ―― インディアス問題とサラマンカ学派』

(名古屋大学出版会)

1973年生まれ。
国立マドリード大学政治社会学部社会政治思想史学科博士課程修了。青山学院大学大学院国際政治経済学研究科博士課程単位取得退学(国際政治学専攻)。博士(政治学、国立マドリード大学)。
青山学院大学国際政治経済学部助手を経て、現在、静岡県立大学国際関係学部講師。
著書:Civilización y barbarie(Madrid), Los asuntos de Indias y el pensamiento político moderno(Madrid)など。

『野蛮から秩序へ ―― インディアス問題とサラマンカ学派』

 国家を超える政治秩序は、いかなる原理に基づいて構成されるのか。この問いに対する現代における通常の解答は、主権国家体制のもとでの国際法によって与えられる。そして、この主権国家の成立についての理論は、マキャベリ、ボダンからホッブズに至る政治思想の展開のなかで、整理され、確立していった。他方、このような主権国家からなる国際社会の法としての国際法は、グロティウスからヴァッテルなどの国際法学者によって確立されたとされる。ここで前提とされる政治秩序は、それぞれが至高の権利である主権を保持する国家が、対等な関係として同じ法規範のもと相互の政治を秩序していくというイメージで語られる。
 しかしながら、現実に展開してきた世界においては、この均質で対等の主権国家が同じ法規範のもと相互作用してきたというイメージは現実に合致しない。国際法を確立していったヨーロッパは、ヨーロッパ外の「他者」に対して、ヨーロッパ内で成立した国際法をそのまま適用したのではなかった。一方において、普遍的原理に基づく国際法を打ち立てつつ、他方において、この原理と背反する侵略行為を行ってきたのが近代ヨーロッパの現実ではないか。これが、現代から見たときの率直な印象ではないか。結局、ヨーロッパが打ち立てた主権平等に基づく国際法と国際政治思想は、ヨーロッパ外における自らの行為に目を閉ざし、ヨーロッパ内部における整合的な体系を作り上げた欺瞞ではなかったのか。
 必ずしもそうではなかった、というのが受賞作の主張である。本書『野蛮から秩序へ ― インディアス問題とサラマンカ学派』によれば、コロンブス以後、ヨーロッパが現在のラテン・アメリカすなわち「インディアス」を制圧する過程で、スペインにおいて同時進行的に行われた知的論争があった。ヨーロッパ人がインディアスで発見した「インディオ」に対して、いかなる法的枠組みを適用すべきか。彼らをスペイン人が支配することは正当なのか。事実としてインディアスを征服したスペインにおいては、当然のことながら、征服を正当とする理論付けが行われた。しかし、この正当化の理論に対して、真剣に挑戦したのが、フランシスコ・ビトリアに代表される「サラマンカ学派」と呼ばれる人々であり、さらにラディカルな批判を繰り広げたのが、ラス・カサスであった。
 本書は、このグロティウス以前の国際法黎明期に、異質な人々との間に普遍的な国際法を打ち立てようとする真剣な試みがあったことを徹底的に検証した政治秩序論である。近代を主導してきたマキャベリ、ボダン、ホッブズを中心とする政治思潮に比べたとき、サラマンカ学派の考え方に中世的、神学的側面が残ることは否めない。しかし、ビトリアやラス・カサスは、ヨーロッパ内に思考を閉じることなく、異質な人々を包み込む世界全体に通用する法規範・政治原理は何かということを検討しつくした。そこに時代の制約は当然ある。しかし、本書を読むことで、読者は、極めて現代的な国際規範の問題が、近代の冒頭においてスペインで真剣に行われていたことを知るであろう。
 著者は、中世から近代にいたるヨーロッパ政治思想の的確な整理を行いつつ、スペイン語の文献も駆使しつつ、サラマンカ学派からラス・カサスに至る議論の展開を体系的に、しかも分かりやすく分析することに成功している。ヨーロッパにおける国際思潮の分析として世界的にみても貴重な分析が、まず日本語で書かれたことを喜びたい。

田中 明彦(東京大学副学長)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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