サントリー文化財団

menu

サントリー文化財団トップ > サントリー学芸賞 > 受賞者一覧・選評 > 秋山 聰『聖遺物崇敬の心性史 ―― 西洋中世の聖性と造形』

サントリー学芸賞

選評

社会・風俗 2009年受賞

秋山 聰(あきやま あきら)

『聖遺物崇敬の心性史 ―― 西洋中世の聖性と造形』

(講談社)

1962年生まれ。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得満期退学(美術史学専攻)。フライブルク大学哲学部博士課程修了。
電気通信大学電気通信学部助教授、東京学芸大学教育学部助教授を経て、現在、東京大学大学院人文社会系研究科准教授。
著書:『デューラーと名声―芸術家のイメージ形成』(中央公論美術出版)、『旅を糧とする芸術家』(共著、三元社)など。

『聖遺物崇敬の心性史 ―― 西洋中世の聖性と造形』

 この秋山氏の著書に関して、選者の皆が一致して認めたことがある。それは、日本人にとっては必ずしも身近ではないテーマに対して、この著者が相当な「オタク」的なアプローチをしていること。つまり、一般に知られていない様々な著作や資料にあたって、特殊なテーマに関して詳細に論述しているということだ。研究とは本来そうあるべきだろうが、それを専門家向けとしてではなく一般読者に分かり易く著述している点が、高く評価されたと言える。
 また内容的には、聖遺物崇拝という、一見特異な問題を扱っているように見えるが、論じられている内容、つまり宗教と偶像崇拝の問題とか、あるいは聖像や聖画と芸術の関係といった主題は、必ずしも特殊とは言えない。というのは、これまでも各国において、宗教・思想論や芸術・文化論としてこれに関連した問題は様々な形で論じられてきたからだ。つまり、一見特殊な問題をオタク的に論じているように見えて、実はその内容は普遍的なテーマでもあり、本書の考察は古今の文明論の基本問題に通底するアプローチとなっている。評者が本書をたいへん興味深く読むことができたのも、そのためである。
 著者が指摘していることだが、聖人に関係した聖遺物とは、通常何の変哲もない骨片や襤褸くずだが、それを「あらゆる黄金よりも価値あるもの」として、聖遺物の容器は凝った造形イメージが与えられ、惜しみなく財力が投入された。となると、これは当然、偶像崇拝に対するタブーの問題に抵触する。イコン(聖画像)崇拝に関しては、それを容認した東方正教会と禁止した西方キリスト教会が対立したことはよく知られている。本書では、西方教会も聖遺物崇拝は認めたという点や、その歴史的経緯、東方正教会との違いなどにも触れられている。キリスト教史の観点から見ても興味深い。
 聖遺物や聖遺体の奪い合いから、そのために聖人が殺されたり死体が煮られたりする話は、グロテスクでもある。評者はロシア研究者であるが、ロシアにも聖人の遺体崇拝の伝統がある。それがレーニン廟やスターリン主義の思考法にも結びついていると見ていたので、その観点からも本書には大きな興味が湧いた。
 芸術との関連に関しては、聖遺物容器における聖人の具体的なイメージ化が、「芸術の時代」以後は、自由な表現によってその直接的表現性が希薄になったという。そして著者は「芸術の束縛性」から離れて、聖遺物との呼応による直接的なメッセージ性に再び目を向ける意義を強調している。つまり、自由な抽象化から、聖遺物のリアリズムに回帰することの意義に目を向けているのだ。
 「神意を伝える者としての芸術家」を自認していたデューラーの遺体が聖物扱いされた話も面白い。著者の芸術観にも関わることだが、本書では聖遺物のイメージ化が、やがて独立して芸術となり、今度はそれが聖遺物扱いされるようになったと指摘している。芸術と宗教は、たしかに霊感とか絶対性という面で共通面が多い。ただ、芸術論に関してはもう少し突っ込んだ考察があれば、さらに奥深い内容になったと思われる。

袴田 茂樹(青山学院大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

サントリー文化財団