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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学 2009年受賞

伊東 信宏(いとう のぶひろ)

『中東欧音楽の回路 ―― ロマ・クレズマー・20世紀の前衛』

(岩波書店)

1960年生まれ。
大阪大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学(音楽学専攻)。
日本学術振興会特別研究員、ハンガリー国立リスト・フェレンツ音楽院研究員、大阪教育大学教育学部助教授などを経て、現在、大阪大学大学院文学研究科准教授。
著書:『バルトーク ― 民謡を「発見」した辺境の作曲家』(中央公論社)、『ハイドンのエステルハージ・ソナタを読む』(春秋社)など。

『中東欧音楽の回路 ―― ロマ・クレズマー・20世紀の前衛』

 本書は中東欧諸国の民俗音楽についての本である、などと書くと、専門家や特殊な愛好家を対象としたマニアックな本だと思われてしまうかもしれない。たしかに、本書の中心的な対象である、ロマ(かつてはジブシーと呼ばれていた)の音楽や、クレズマーと呼ばれるユダヤ人の大衆音楽などの中東欧の村の楽師音楽は、近年いろいろな形で脚光を浴びつつあるとはいえ、音楽文化のメインストリームとは言い難いものだろう。
 だが本書を読むと、これらの音楽の周囲にいろいろなものが吸い寄せられるように集まってきて、ひとつながりの世界をつくりはじめることに驚かされる。ストラヴィンスキーのバレエやレハールのオペレッタ、エネスクのヴァイオリン曲やリゲティの現代曲が出てくるあたりはまだ序の口で、シャガールの絵やクンデラの小説までが論の射程に入ってくる。各章の間にはさまれている「コラム」と題されたコーナーになると、多少なりとも中東欧にかかわりのありそうな文学作品や映画が相次いで登場し、その間をかけめぐるうちに、一見バラバラにみえていたこれらの対象の背後に様々な糸が張りめぐらされていることを感じさせられるのである。
 それらが結び合わせられる核にあるのは、民族や国家をこえた普遍性を志向するとされてきた「芸術音楽」にも、それぞれの民族固有の音楽とされてきた「民族音楽」にも括られない種類の音楽があり、それらが様々な民族の音楽文化をつなぎ合わせるもう一つの紐帯になっていたのではないかという伊東氏の基本的な問題意識である。中東欧の場合、クレズマー音楽やロマの音楽などは、決して特定の民族を代表するという意味での「民族音楽」であったわけではない。これらの音楽にたずさわった楽師たちは、民族的な意味でも階層的な意味でもマイノリティであり、時に蔑視されたりする一方で、彼らの生業とした音楽は、それぞれの民族の境界をこえて、それらを媒介し、つなぎ合わせる役割を果たしていた。
 しかも20世紀に入ってからは、彼らは移民として新大陸に渡り、映画やレコードなどの新しいメディアの担い手となったり、ロシアから満州方面に流れ、中国や日本での西洋音楽の普及に貢献したりといった形で、西洋音楽の輪を非西洋世界へと広げ、それらの諸文化を結び合わせてゆく役割を果たすことにもなったというのである。そう言われてみると、近年日本で見直されているジンタやチンドン屋の音楽など、われわれの身の回りにあってどちらかといえば卑俗な音楽として差別されてきたような種類の「西洋音楽」の響きなどにも、本書で取り上げられているモルドヴァのブラスバンドの響きが二重写しになってきたりするから不思議だ。
 「芸術音楽」と「民族音楽」という、これまでの二分法的な固定観念を捨て、そこで取り逃されてしまっていたクレズマー音楽やロマの音楽などに光をあてることから出発しようとする伊東氏の試みは、これまでの音楽史像を書き換えるにとどまらず、それを考えるための思考の枠組みや問題系全体を問い直す、まことに壮大な試みであることは間違いない。もちろん、そんな壮大な野望が一個人のたった一冊の本だけで成し遂げられるはずはない。本書ではそのごく一部が断片的に示されるにとどまっており、そのために審査の席上でも、本としてのまとまりに難があるというような意見も出た。しかし本書を読んだ時の、読み進むにつれて、一見ほとんどバラバラにみえる対象が、民族やジャンルの枠をこえてじわじわとつながり合ってくるスリリングな体験は、著者の壮大な企図が、未完でこそあれ、決して単なる大風呂敷ではなく、十分な説得力をもちうるものであることを証している。

渡辺 裕(東京大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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