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サントリー学芸賞

選評

思想・歴史 2008年受賞

松木 武彦(まつぎ たけひこ)

『列島創世記 ―― 旧石器・縄文・弥生・古墳時代』

(小学館)

1961年生まれ。
大阪大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学(考古学専攻)。博士(文学)。
岡山大学文学部助手などを経て、現在、岡山大学大学院社会文化科学研究科准教授。
著書:『日本列島の戦争と初期国家形成』(東京大学出版会)、『人はなぜ戦うのか』(講談社)など。

『列島創世記 ―― 旧石器・縄文・弥生・古墳時代』

 複数の著者が時代別に分担執筆する「日本の歴史」は、これまでに何種類も刊行されてきましたが、その第一巻目に当たる前文字時代編というのは敬遠してしまうケースが多かったように思います。理由は、考古学というものに対してある種の偏見を抱いていたためです。つまり、考古学からは、「人間が見えてこない」か、あるいはその逆に「過剰に見えてくる」からです。「人間が見えてこない」というのは、科学的データに偏重する結果、前文字時代人であろうともホモサピエンスであるという事実が忘却されてしまうためで、「過剰に見えてくる」というのはルソー的な先史時代ユートピア説によってデータに余計な意味を付与することからきています。縄文社会は平等社会で、弥生社会の農耕文化から不平等が生まれたとするような考え方は後者の典型といえます。
 本書は、小学館版の「全集 日本の歴史」の第一巻で、当然、前文字時代が対象ですが、私がこれまでに抱いていたような偏見を完全に吹き飛ばしてくれる快作といえます。
 画期的な理由の一つは、著者がヒトの心の普遍的特質の理解をもとにヒトの行動を説明する「心の科学」(認知科学)の提起を受けて、前文字社会においても、石器や土器などを作ったのはわれわれと同じ同じホモサピエンスである以上、石器や土器に共通に見られる「凝り」、つまり文様だとか左右対称だとか精緻な調整剥離などの実用を超えた余計な要素は、ある種の美的表現であり、その美により自他の区別を主張しようとする社会的メッセージを発していると考えた点にあります。なぜなら、その社会的なメッセージこそが物質文化を誕生させ、社会関係の複雑化を生み出していった一つの要因であるからです。
 もう一つの画期的な理由は、天候の長期変動という要素を前文字文化の解読に十分に活用した点です。たとえば、地球の温暖化が東北と北海道に縄文前期文化を開花させたのに対し、地球の寒冷化が西日本に縄文後期文化と弥生文化を誕生させたというのは通説になっていますが、著者は、後者の場合、寒冷化という環境変化に対する人間の対応という「内からの弥生化」が強く関係しており、「半島からの渡来者が北部九州に水稲農耕の文化を伝え、それが西日本や東日本へと広がった」という「外からの弥生化」だけでは縄文から弥生への移行は説明しきれないと鋭く分析しています。
 また、縄文時代は平等な社会だったという縄文ユートピア説に対して、縄文後期に入るとモニュメントや道具に平等原理の観念が現れるのは、寒冷化などの環境変化により、「そのような原理をおびやかすような関係が、社会のなかに強まっていたからだ」とする「理念と現実のねじれ」説をぶつけているのも十分に説得的です。
 さらに、環境が一定している限り、模倣や反復などの保守的な方法が用いられるが、寒冷化などの変化要因が出てくると「模倣でなく、独創性や洞察力によって、環境の変化により適応した新しい行動」を取る必要が生まれ、それが、環状集落への集住から分散居住への移行を導いたとする環境適応説も認知科学の成果をうまく活用したものといえます。
 最後に、理想化されたのでもなく、矮小化されたのでもない、「ありのままの人間」が見えてくる画期的な考古学が「日本の歴史」のトップを飾ったことを率直に喜びたいと思います。これは、日本の史学にも新しい風が吹き始めた兆候かもしれません。

鹿島 茂(明治大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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