選評
思想・歴史 2008年受賞
『東京裁判』
(講談社)
1962年生まれ。
立教大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学(史学専攻)。博士(政治学)。
鹿児島大学教養部講師などを経て、現在、鹿児島大学法文学部教授。
著書:『東京裁判の国際関係』(木鐸社)、『東京裁判を正しく読む』(共著、文藝春秋)など。
東京裁判に関して、現時点で、最善かつ最もわかりやすい歴史分析の書である。東京裁判については、従来から、これを肯定的にとらえる見方、すなわち「文明の裁き」であったとの見方と、否定的にとらえる見方、すなわち「勝者の裁き」であったとの見方が対立してきた。著者は、このような単純な二元論的な見方を排し、できる限り事実に即して、東京裁判の実態に迫ろうとしている。
著者の立場は、しかしながら、一切の価値判断を行わないというものではない。著者は、国際政治の現実のなかで、日本という観点のみから東京裁判を見るのでなく、国際法の進展、戦争の現実、安全保障上の考慮などに着目しつつ、東京裁判の実態を位置づけようとしている。著者のとる立場は、「『文明の裁き』だからといって、東京裁判を全面肯定したり戦前期日本を全面否定したりしなければならないわけではない。逆に『勝者の裁き』だからといって、東京裁判に意義を認めてはいけないわけでもない。」という文章に現れている。
特に重要な本書のメッセージは、東京裁判が、「勝者」であるアメリカなどにとって、広い意味での「安全保障」のための措置であったということであり、そして、東京裁判受け入れは、吉田茂ら当時の日本政府にとっても、日本の「安全保障」のための措置であったということである。正義をもたらすという意味での裁判という側面が重要でないわけではないが、まさに、裁判という形をとることで、将来的に戦争を抑止しようとしたのが勝者の側の判断であった。他方、敗者としてのコストを最小にさせつつ戦後秩序の形成者であるアメリカとの協調を実現する手段として東京裁判を受け入れるというのが日本政府の判断だった。勝者と敗者との国際政治の判断の結節点が東京裁判であった。
しかし、本書は、このような大局的な見方を提示する一方、これまで十分明らかにされてこなかった東京裁判のいくつもの側面に光を当てている。評者にとって興味深い分析は、A級戦犯の量刑の決定過程の分析であった。死刑判決を受けた者は、「平和に対する罪」の全般的共同謀議のみが理由で、死刑になったのではないと著者は言う。著者の分析によれば、死刑判決に関して決定的だったのは「重度の残虐行為」に責任があったかどうかであった。「平和に対する罪」という事後法で死刑を量刑することにはためらいがあったということであろう。
さらにまた、パル判事に関する叙述も簡潔で適切である。彼の法理論がそれほど特異であったわけではないこと、それに比して彼の事実認定がきわめて強引であったこと、そして、当時のインド政府が彼の立場を嫌っていたこと等が示されており、東京裁判におけるパルの位置づけを考える有益な分析となっている。
最後に、東京裁判後の戦犯釈放過程の分析も有用である。この部分は、叙述的にいえば、ややわかりにくく細部にわたりすぎているように読める部分である。しかし、釈放に最終的に同意したアメリカなどの思惑がいかなるものであったかを明らかにした本書のこの部分の価値は大きい。東京裁判否定論のなかには、最終的に戦犯釈放をアメリカが許容したのは、アメリカでさえ裁判の不当性がわかっていたからだというような説があるが、本書の分析を読めば、アメリカにそのような意図がありうべくもないことが直ちにわかるのである。アメリカが戦犯釈放に同意したのは、もっぱら、国際政治の現実の中での損得であった。
田中 明彦(東京大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)