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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学 2007年受賞

三浦 篤(みうら あつし)

『近代芸術家の表象 ―― マネ、ファンタン=ラトゥールと1860年代のフランス絵画』

(東京大学出版会)

1957年生まれ。
東京大学大学院人文科学系研究科博士課程単位取得満期退学 (美術史学専攻)。パリ第4大学博士号取得。
日本女子大学専任講師などを経て、現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。
著書:『まなざしのレッスン Ⅰ西洋伝統絵画』(東京大学出版会)など。

『近代芸術家の表象 ―― マネ、ファンタン=ラトゥールと1860年代のフランス絵画』

 三浦篤氏の『近代芸術家の表象』は、「マネ、ファンタン=ラトゥールと1860年代のフランス絵画」という副題に示されるように、一方で第二帝政後半期のフランス美術界の歴史を、マネとファンタン=ラトゥールという二人の画家の活動、特にファンタン=ラトゥールの集団肖像画の徹底した分析とその社会的意味づけという新しい視点から捉え直し、他方では同じ頃、この二人のみならず、ルノワール、ドガ、バジール、カロリュス=デュランなどによって、それまでになく多くのさまざまな芸術家像が描かれたという事実に注目して、これらの作品を単に美術史の枠組のなかだけで理解するのではなく、より広く文化的、社会的文脈のなかで見直すことによって、従来にない新しい歴史像を提示しようとした野心的な試みである。そしてその試みは、「近代芸術家の表象」という中心テーマを設定することによって見事に成功し、充実した内容を持つ労作を生み出した。
 これまで19世紀における美術の歴史は、社会的になお大きな権威を保っていたアカデミー派の芸術と、それに飽き足らず新しい表現を求めた前衛芸術との対立、抗争としてもっぱら捉えられて来た。その対立は、サロン(官展)を拠点とするアカデミーに対抗して、そのサロンから締め出された前衛派が自分たちだけの個展やグループ展を開くようになったという事実に端的に表われている。そのこと自体はたしかにその通りだが、しかしそのような対立のみを強調することは、歴史の豊かさを見失わせる虞がある。従来、1850年代が「レアリスム宣言」と個展の開催によって大きな反響を呼んだクールベの活躍した時代と捉えられ、1870年代が印象派登場の時代として規定されたのに対し、そのあいだにはさまれた1860年代がいささか曖昧な性格づけにとどまっていたのは、そのためである。事実、この時期の最も重要な画家であるマネは、社会的スキャンダルを惹き起すほど大胆な新しい表現を試み、印象派の仲間たちともきわめて親しかったにもかかわらず、そのグループ展に参加することを拒否して飽くまでもサロンにこだわったし、ファンタン=ラトゥールもその重要な作品をすべてサロンで発表していた。そのかぎりでは「サロン派」ということになるであろう。三浦氏はそのような「保守」対「革新」という単純な二分法をしりぞけて、この時期の芸術家像を「芸術家集団としての自己主張」、「芸術家の生活と交友」、「芸術家の肖像」、「制作の場としてのアトリエ」という四つの視点から多角的に分析し、社会の変化とともに絵画も大きく変りつつあったこの転換期の新しい美的価値観を説得的に論じている。作品そのものの分析と、当時の新聞、批評、手紙、大衆版画などさまざまの資料の徹底した調査に基く多くの新知見、例えばマネの《芸術家》についての解釈や、1860年代の芸術家たちに対して「ポスト・レアリスム」という新しい概念を提案していることなど、美術史に対する重要な寄与であり、本書の大きな功績と言ってよいであろう。
 それと同時に、放浪の芸術家ボヘミアンについての幅広い論述に見られるように、文学、音楽、社会史にまで視野を拡げて歴史の全体像を捉えようとする試みは、充実した内容とともに多くの知的刺戟を与えてくれる。堅実な調査と新鮮な問題意識に支えられた優れた人文学的労作の誕生を心から祝福したい。

高階 秀爾(東京大学名誉教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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