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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学 2007年受賞

河本 真理(こうもと まり)

『切断の時代 ―― 20世紀におけるコラージュの美学と歴史』

(ブリュッケ)

1968年生まれ。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位修得満期退学(美術史学専攻)。パリ第一大学博士号(美術史学)取得。
日本学術振興会特別研究員などを経て、現在、京都造形芸術大学比較藝術学研究センター准教授。
論文:「クルト・シュヴィッタースのコラージュにおける、書記言語とイメージについての試論」(『美學』[190号]所収)など。

『切断の時代 ―― 20世紀におけるコラージュの美学と歴史』

 世界は拡大し表現は増大する。20世紀芸術を一言でいえばそういうことになる。世界がたんに地理的に拡大しただけではない。表現領域も拡大した。写真や映画やビデオが登場しただけではない。19世紀までは表現行為と見なされていなかったものまで表現行為と見なされるようになったのである。ハプニング、パフォーマンス、インスタレーション、環境芸術そのほか。こうして、ニューペインティングがポストモダンという語と合体した1980年代以降、現代芸術なるものを包括的に見ることじたいが、ほとんど放棄されるようになった。マルクス主義のような大きな理論が消えたためだなどという説もあるが、そんなことはない。世界の拡大と表現の増大に人間の能力がついていけなくなったのである。
 長くそう思っていたが、『切断の時代』を読んで考えを改めた。20世紀芸術の歴史もまた書かれうると思わせられたのである。表現の全領域を扱っているわけではない。20世紀美術の、それもコラージュを中心に扱っているにすぎない。だが、ここではこのコラージュという方法が20世紀芸術を貫く精神と見なされているのであり、実際、その観点からならば20世紀芸術もまたひとつのまとまりとしてあると思われてくるのである。
 質、量ともに学術書を思わせるが、読みはじめると熱気に巻き込まれて抜け出せなくなってしまう。冒頭、アラゴンのコラージュ論が引かれ、一瞬身を引くが、シュルレアリスムからキュビスム、ダダイスムへと馳せ上り馳せ下ることによって、あっというまにこの古風な立論を歴史の座標にピンで止めてしまう。そしてコラージュが何よりも意味のずらしであることに注意を促してデュシャンの「レディ=メイド」へと焦点を移し、そこでさりげなく「レディ=メイド」は20世紀が「ピカソの世紀」であったとともに「反ピカソの世紀」でもあったという事実を示唆するのである。凄まじい速度だが、凝縮した叙述は壷をはずしていない。
 その印象は、続いて、グリーンバーグ、クラウス、サイツ、カプローら、アメリカの批評家のコラージュ論を分析してゆく過程で決定的になる。批評家の人柄まで分かる。同時にヨーロッパからアメリカへと中心地を移した20世紀美術の流れを浮き彫りにもしている。
 白眉はクレー論。クレーが生涯にわたって、いったん完成されたと思われた 200以上の作品を鋏やナイフで切り取って新たな作品としていた事実を紹介し、それらのうち組み換えられて再構成された作品を「分割コラージュ」と呼ぶように提案している。クレーの作品をコラージュの名のもとに論じることじたい異例のこと。一度完成した作品がどのように切断されどのように再構成されたか、クレーの頭脳を覗く思いである。ベンヤミンの絶筆『歴史の概念について』で有名になった作品『新しい天使』を論じた部分も素晴らしい。この作品はコラージュではないが、クレーの「分割コラージュ」的精神を念頭に置くと置かないとでは作品の見え方が違ってくるのである。ベンヤミンの精神と呼応するのもまさにそこにおいてなのだと河本氏は示唆している。
 河本氏はシュヴィッタースを論じるにヴァーグナーの総合芸術概念からはじめているが、20世紀におけるコラージュという主題からいえばむしろマーラーからショスタコーヴィチにいたる引用と切断の手法のほうが関連は深いだろう。演劇においても寺山修司やピナ・バウシュの舞台が思い浮かぶ。最後はラウシェンバーグで終わっているが、本書の守備範囲はさらに広いと思わせる。
 文字通りの力作である。

三浦 雅士(文芸評論家)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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