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サントリー学芸賞

選評

政治・経済 2006年受賞

神門 善久(ごうど よしひさ)

『日本の食と農 ―― 危機の本質』

(NTT出版)

1962年、島根県生まれ。
京都大学大学院農学研究科博士後期課程中退。
滋賀県立短期大学助手、明治学院大学助教授などを経て、この間、イェール大学、スタンフォード大学などで客員研究員を務める。
著書:『農業経済論・新版』(共著、岩波書店)

『日本の食と農 ―― 危機の本質』

 本書は神門氏による食糧問題・農業問題の政治経済学的分析である。戦後の農業政策の政治経済的側面の歴史が興味深く語られた後、1990年代半ば以降の変容が詳しく分析される。その分析は農業問題を語りながら、同時に安易な規制緩和論に対する警告にもなっている。さらに、筆は日本社会における市民意識の低さにも及び、幅広い観点から日本の政治経済社会について読者に再考を迫る好著である。
 著者によれば、農工間の所得格差を基礎に、1960年代までの農業政策は農産物価格支持制度等による農業への所得移転を意図したものであった。これが零細農家の支持を勝ち取り、自民党政権の安定性を保証、また、それが推進する経済成長政策の支援にもなった。他方、財界と自民党との関係は密接であっても、個別企業が票田となったわけではなく、特定企業肩入れ策が大規模に発動されてはいない。このため、企業間の競争、浮沈は激しく、高度成長の原動力となった。多くの発展途上国と鋭い対比をなしていて、興味深い。
 1970年代に農工格差がおおむね消失したときに、こうした農業保護政策は止めるべきであった。しかし、自民党政権基盤の弱体化を気にした政府は、JAの地域組合化の下での農村にかかわる広範なサービス提供の方向に舵を切った。JAは共同利用施設の提供などを通じて零細農家を保護し、その離農や大規模先進農家の突出を食い止めてきた。さらに、極め付きの零細農家保護政策は、公共投資による農地の改良、その上での転用規制の恣意的な緩和による農家への(農業生産収入の6割もの規模に匹敵する)転用収入の確保であった。この政策による恩恵は土建会社にも及んだ。
 以上の零細農家保護政策の構造は1990年代半ば以降、公共投資の減少、金融自由化によるJAの不振等の下で、維持が難しくなってきた。そこで企業による農業参入自由化のような規制緩和策、また土地転用制限策の地方委譲のような地方分権策等、時流に乗った対策が登場した。しかし、多くの場合、農業に参入する企業は農業を主目的とはせず、産廃業への転換などを考えており、また地元エゴに甘い地方自治体ほどこうした要求を認めやすい。結果として、こうした規制緩和は農業生産性の向上に資するのではなく、行政、零細農家、土建業者等の旧態勢力を利することになっている。市民意識の欠如する日本人が、自ら土地利用のルール作りに参加しようとせず、「お上」任せであったこと、さらに規制緩和万歳のポピュリズム的風潮がこうした傾向を助長した。
 戦後日本の政治経済構造の一つの核となった部分に関するきわめて歯切れの良い指摘の連続であり、個別の論点は著者によるより専門的な研究で裏付けられている。また、最近の政策、それについてのマスメディアの論調に対する貴重な批判にもなっている。
 ただし、もう少し著者の主張を聞いてみたいと思った箇所も多い。本書の中核である農地の非農地への転用の点だが、それは本当にいけないことだろうか。生産性がそれで上昇するなら経済原則どおりではないだろうか。多分、公共投資等の「補助金」をつけて生産性を上げていること、そのやり方、転用規制緩和が恣意的で分配面からも大規模農家へのインセンティブからもマイナスだ等が指摘できるのだろう。あるいは、安定的食糧供給・国土保全等の経済効率性の範囲を超える目標へのアプローチの仕方が問題なのかもしれない。また、日本人の市民参加意識の欠如、食における利便性の過度の追及による食生活の乱れ等についても、単なる批判、あるいは非合理的行動だという以上の分析が必要のようにも思える。事態改善のためのいくつかの提案にもやや唐突に感じられるものがあった。もう一歩の分析、あるいは詳しい説明を聞きたいと思ったところである。

植田 和男(東京大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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