サントリー文化財団

menu

サントリー文化財団トップ > サントリー学芸賞 > 受賞者一覧・選評 > 黒崎 輝『核兵器と日米関係 ―― アメリカの核不拡散外交と日本の選択1960-1976』

サントリー学芸賞

選評

政治・経済 2006年受賞

黒崎 輝(くろさき あきら)

『核兵器と日米関係 ―― アメリカの核不拡散外交と日本の選択1960-1976』

(有志舎)

1972年、新潟県生まれ。
東北大学大学院法学研究科前期2年の課程修了。
東北大学大学院法学研究科助手、明治学院大学国際平和研究所特別所員を経て、桜美林大学、二松学舎大学で非常勤講師も務める。
論文:「アメリカ外交と核不拡散条約の成立」(東北大学法学会『法学』65巻5号、同6号所収)など。

『核兵器と日米関係 ―― アメリカの核不拡散外交と日本の選択1960-1976』

 戦後日本に核政策は存在したか。そう問われれば、多くの人は首をかしげるであろう。唯一の被爆国として、戦後日本に反核世論が格別に強かったことは言うまでもない。他方、政府の側についていえば、岸首相は自衛のためなら核武装しても違憲ではないと論じ、池田首相も日本が核保有国であれば国際的発言力がはるかに違ったのにと嘆じたりした。ところが、いささか思いがけないことに、佐藤首相が1968年に国会で非核三原則を明言し、保守政権の側から非核国家・戦後日本を方向づけるイニシアティブがとられた。
 以上のような不連続面をかかえた対処の裏に、どんな考慮や政策・戦略があったのだろうか。それに米国の政策がどう作用していたのか。こうした戦後日本にとって根幹的重要性を帯びる問題について、かつてない全体的輪郭の解明を成し遂げたのが、本書である。
 本書によれば、1964年秋に中国が核実験を行った後まもなく首相となった佐藤栄作が、ライシャワー駐日大使に対し、日本も核保有を検討したい旨、語った。中国核保有のインパクトの大きさを示すものであるが、これは近年の米国外交文書の公開時まで知られていなかった事実である。本書の特長は米国公文書を中心に原資料に基く実証研究たる点にある。
 佐藤発言の波紋と反作用は意外に大きかったようである。米国政府は、フランス・中国についで日本が核武装に走れば、統御困難な世界となると受けとめた。核不拡散(NPT)体制の構築へと動き、日本を組み込もうとする。ジョンソン大統領自身が佐藤首相に対し、核抑止力の提供を約束しつついさめた。ただ米国政府は、奇跡の高度成長によって高まる日本人の民族的プライドに健全な発露の機会を与える必要を認め、宇宙開発分野での成功を支援しようとした。ところが日本のロケット技術者たちの自主開発にこだわるナショナリズムにはばまれて実らなかったという。
 60年代日本の経済的成功は日本人のプライドをかなり満足させた。加えて67年に米国より沖縄返還の約束を得て、佐藤首相は非核国家の「成功」に展望を持ち得たのであろうか。前述のように、翌年、首相は自ら「非核三原則」を表明し、さらには「核抜き」の沖縄返還に威信をかけ、核不拡散条約に調印した。米大使への政権当初の言葉を想起すれば、皮肉な情景といわねばなるまい。それは戦後日本の非核・経済国家という国のあり方を規定する意味を持った。
 本書が核をめぐる日米関係を外交原文書に依拠して解明したことは画期的であり、問題が機密性を帯びる事柄だけに、この業績は新鮮である。本書は核をめぐる日米関係のプロセスを原文書をして語らせる手法により大きく照射したが、欲を言えば、それを基に日本とアメリカの核政策やこの問題をめぐる日米関係をもう少し総論的に雄弁に論じてもらいたかった。また、原文書を取り巻く政府内環境や問題状況につき、もう少し肉付けが欲しかったところもある。34才の若い著者にさらなる躍進を期待したい。
 ともあれ、北朝鮮が核とミサイルを振りかざし、日本の核保有の可否が内外で喧しく提起される事態を迎えた今日、本書は余りにもタイムリーである。60年代前半のフランス・中国の核保有の衝撃がNPT体制を樹立させたが、今やそれが北朝鮮だけでなく、南アジアでも中東でも崩壊の危機に瀕している。この状況において、日本の国家戦略と世界秩序を模索するうえで、本書は貴重な基盤を提供する歴史研究である。

五百旗頭 真(防衛大学校長)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

サントリー文化財団