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サントリー学芸賞

選評

思想・歴史 2005年受賞

関口 すみ子(せきぐち すみこ)

『御一新とジェンダー ―― 荻生徂徠から教育勅語まで』

(東京大学出版会)

群馬県生まれ。
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。
東京大学文学部在学後、ドイツ・マインツ大学に留学。河合塾で常勤講師を勤める。現在、法政大学法学部助教授。
著書:『大江戸の姫さま』(角川書店)

『御一新とジェンダー ―― 荻生徂徠から教育勅語まで』

 関口すみ子さんの『御一新とジェンダー ―― 荻生徂徠から教育勅語まで』の優れたところは、権力者の性的腐敗というイメージが民衆に染み込んでいくと、それが歴史的な転換をもたらす重要なファクターとなり得ることを資料の丹念な読みこみから実証した点にあります。関口さんは、ロバート・ダーントンに倣って、王の性的スキャンダルに対する揶揄と憤慨が表象的な「王殺し」となって実際に王権の失墜を速めていく過程を、日本の徳川幕府にも観察したわけです。
 関口さんは、幕府最後の将軍徳川慶喜が「老女は実に恐るべき者にて実際老中以上の権力あり」と言って大奥の権力を恐れて将軍職を引き受けるのを渋り、また荻生徂徠が「大名の妻ほど埒もなき者はなし」と奥の力を罵ったのはなぜかという素朴な疑問から出発して、大奥や奥の構造が女の力を拡大させる要素を含んでいたことが、結果的に、男の側からのジェンダー的反発を生んだ事実を証明してゆきます。
 中でも興味深いのは、家格を上げるために、将軍家は公家との、また大名は将軍家との縁組をそれぞれ進めながら、その一方で外戚の影響力を排除するために、世継ぎの生母は妾とするという「分業体制」が敷かれたことが、荻生徂徠が非難したような「おどり子あがり」が将軍や大名の母となる可能性を生んだのだという指摘です。というのも、セックスを媒介にして大奥や奥に民衆の血が流れ込むという性的スキャンダルは、イメージ的に拡大再生産されやすく、容易に民衆の間に伝播していったからです。
 「綱吉の側用人柳沢吉保の側室である『正親町町子』(中略)をめぐって、疑惑が深まっていった。巷では唐の玄宗楊貴妃の物語になぞらえて、大奥を淫靡な空間として描き出す物語が、次々と作られては流された。『楊貴妃』に溺れた唐の『玄宗』に類比された綱吉は、佞臣と寵姫に性的欲望を掴まれ、その意のままに動かされる、およそ為政者にはふさわしくない存在として描かれた。家康・家光以来の『征夷大将軍』の御威光ははぎ取られ、公方様は嘲弄の的となったのである。同時に、大奥はスキャンダルの温床と化した」
 重要なのは、儒者などの幕藩体制の批判者からなされる、こうした大奥や奥の性的スキャンダルへの論難が、享保の改革や寛政の改革の原動力となり、ひいては、明治維新の際の宮廷の「女権の排除」にまでつながったことです。ひとことでいえば、王権は女権を介して放埓に奢侈に流れて堕落するという恐怖が、上杉鷹山から元田永孚への儒学的な受け渡しをへて、江戸から明治に受け継がれ、『教育勅語』の「夫婦ノ和」を本とする「宮中の和」へと結晶し、良妻賢母イデオロギーが定着したというのです。
 いつの時代でも、性的ピュリズムをもって性的放埓を批判することは権力打倒の有力な手段となりうるのです。明治維新の場合、それが、勤王の志士の間でリヴァイヴァルした儒教だったというわけです。
 マルクス主義的歴史観では、経済的な怨嗟と怒りが革命の原因とされてきましたが、本書は、ジェンダー論の観点から、性的な怨嗟と怒りもまた革命の重要な要因となりうることを例証した労作といえるでしょう。

鹿島 茂(共立女子大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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