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サントリー学芸賞

選評

思想・歴史 2005年受賞

苅谷 剛彦(かりや たけひこ)

『教育の世紀 ―― 学び、教える思想』を中心として

(弘文堂)

1955年、東京都生まれ。
東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。
放送教育開発センター研究開発部助教授などを経て、現在、東京大学大学院教育学研究科教授。
著書:『なぜ教育論争は不毛なのか』(中央公論新社)、『教育改革の幻想』(筑摩書房)、『大衆教育社会のゆくえ』(中央公論新社)、『階層化日本と教育危機』(有信堂高文社)など。

『教育の世紀 ―― 学び、教える思想』を中心として

 「受験地獄」とよばれる詰め込み教育や画一教育、偏差値教育の弊害を指摘し、子どもの個性や創造性を伸ばし、学習意欲をじっくり育むために「ゆとりの教育」を謳う、かとおもえば、こんどは「生きる力」の乏しさを嘆いて「総合学習」に取り組み、舌の根も乾かぬうちに次にこぞって「学力低下」を憂いだす……。そのように《教育改革》の動きはたえず迷走し、そのつど現場は混乱し、しかし教育を変えなければならないという強迫だけは一貫して続く。
 そのような《教育改革》の迷走の歴史と「大衆教育社会」とも言いうる戦後日本社会の形成過程との結びつきを、苅谷剛彦さんは、『大衆教育社会のゆくえ ―― 学歴主義と平等神話の戦後史』『教育改革の幻想』といった著作のなかで分析してきた。が、その手法はあまたの「教育学者」とはずいぶん異なる。「その場かぎりの印象論」や、歴史的な脈絡から乖離した言説こそが「教育を語る言葉の力を失わせている」という苦々しい思いを抱いていた彼がだからこそ採った手法は、国内外のさまざまの統計資料(意識調査や数量分析、制度の国際比較)を駆使して、そこから議論を組み立てていくものであった。「熱い教育論」よりも「教育と社会との冷静な検証」を着実に進めるべく、彼が依拠したのが比較社会学の方法だった。その資料をもとに、われわれの教育への見方を方向づけている枠組み自体を検証する作業へと彼は向かった。
 苅谷さんはその作業をより大きな歴史的文脈のなかに位置づけようと、最近著『教育の世紀』では、二十世紀初頭のアメリカ、教育こそ社会改良の、あるいは社会設計のポイントだとする《教育の世紀》の幕開けのところまで遡っていく。そして、L・F・ウォードという、日本ではあまり知られていない社会学者を発見する。社会進化論を背景とする(百年前の)「ネオ・リベラリズム」に対抗して、ウォードが打ちだした(知性の)平等主義という立場を検証し、アメリカにおける公立学校成立期に、教育機会の拡大による社会の平等化という考え方がどのように普及していったかを克明にたどっている。
 そこから浮かび上がってきたのは、とても皮肉な事態だ。教育の機会の平等という理念が、ウォード以後、個性と選択と多様性を尊重するそれへとさらに「バージョンアップ」されるなかで、学校の外にある厳しい競争が学校の内部へと置き換えられ、学校が(IQ、適性、達成度、人格特性、意欲といった)「教育的な表現型を与えられた不平等」を再生産する場所になっていったという歴史である。個性原理にもとづく教育機会の平等を徹底していくと、「機会の平等」という考え方自体を蝕んでしまうことになるというパラドックス。こうして「教育機会の平等という考え方自体が、教育という世界の内側に閉じ込められ、現実社会の機会の平等と切り離された平等の考え方に変容してしまう」。
 こうした歴史過程を苅谷さんが執拗なまでに読み込むのは、平等と自由のあいだの緊迫した思想的対立を体験することなく、機会の平等を処遇の平等と取り違え、「ゆとり教育」という名の競争の緩和が社会的平等を促進するのか阻害するのかといった検証さえおこなわれない現在の教育論議の浮つきに強い違和感をおぼえるからだ。問題把握の甘さから抜け出すために、まずは教育を語る言葉を鍛え上げていくこと、ここに苅谷さんの研究のめざすところがある。

鷲田 清一(大阪大学副学長)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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