選評
政治・経済 2005年受賞
『属国と自主のあいだ ―― 近代清韓関係と東アジアの命運』
(名古屋大学出版会)
1965年、京都府生まれ。
京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。
宮崎大学教育学部講師、同教育文化学部助教授を経て、現在、京都府立大学文学部助教授。
著書:『近代中国と海関』(名古屋大学出版会)
朝鮮半島の人々にとって「自主」という言葉は、格別な意味を持つ。
1972年の「七・四南北共同声明」は、南北統一の三大原則として「自主」「平和」「民族大団結」を挙げている。ここでは「自主原則」は、「外勢に依存したり、外勢の干渉を受けることなく、自主的に解決しなければならない」原則と定義されている。
2000年の南北基本合意書は前文で「南北共同声明で明らかにした祖国統一の三大原則を再確認し・・・」と記されている。
朝鮮半島統一のもっとも重要な原則は「自主」であり続けているのである。
岡本隆司氏の『属国と自主のあいだ ―― 近代清韓関係と東アジアの命運』は、近代の中韓関係の構造と動態を立体的に浮かび上がらせることで、朝鮮半島における「自主」がいかにトリッキーな概念であったかを照射してみせる。その言葉が米韓同盟との関わりにおいて用いられる時、それは米軍撤退と同盟廃棄の暗号ともなりうるほどトリッキーな性格をいまも宿していることもここで付け加えていいかもしれない。
朝鮮半島の「自主」の虚実皮膜を突き破ったのが日清戦争だった。
日清戦争は、「属国自主」と呼ばれる「清韓宗属ノ関係」の虚構 ―― 一方で朝鮮は「自主」でありそこでの事件については直接の責任は負わないとしつつ、他方、朝鮮はなお中国の属邦であり独立王国と認められないとの清朝の立場 ―― をめぐる葛藤であったし、それを崩壊させる契機となった。
「自主属国」は小中華を自認する朝鮮にとって過酷な状況を強いることになったが、朝鮮は中国には「事大」、日本とは「交隣」によって、国際関係の安定と「自主」の対面を保った。しかし、西欧列強の「文明国の法」がこの地域に挿入され、日本がそれに適応し、自己主張を始め、朝鮮もまた、それを援用し、清朝のあてがいぶちの「自主」ではなく自前の「自主」を自ら定義し始めるに至ってその体制は根本から揺らぐ。
第六章「朴定陽のアメリカ奉使」をひもとくがいい。
1887年8月。朝鮮国王高宗は、朴定陽を駐米公使に任命したが、清朝皇帝は「朝鮮が西洋諸国へ公使を派遣するには、あらかじめ清朝に指示を仰がなくてはならぬ。出発は許可が出てからあらためて行うこと」との諭旨を下した。朴定陽は足止めを食らった。朝鮮は清朝に朴の派遣を申請し直す。
清朝は、公使が任地に赴いた場合、まず、中国使館に報告に行き、中国行使の随伴の下、任地政府に挨拶にいくこと、社交の席では席次は中国の下とわきまえること、重要な外交案件の場合、中国の意見を尊重すること、の「三端」の条件をつけた。しかし、朴は清朝の公使館を訪れないまま、国務長官との会見を済ませてしまった・・・。
全編、まことに見事な資料さばきであり、筆さばきである。駆使する言語も多彩である。
かつて、ロシアの極東アジア近代史を専門とするジョージ・レンセンという歴史家がいた。Balance of Intrigueの著者として知られる。ロシア系の両親とともに若くして米国に移住した。ロシア語、ドイツ語を母語とし、コロンビア大学で日本語、中国語を学び、日本留学。英語と仏語もものし、英語で著作を著した。共感を持って対象に迫り、それらの様々な視点と情熱を歴史の鏡に万華鏡のように投影させた。
そうした鬼才ぶりを彷彿とさせる岡本氏の知性と感性の冴えを、私はこの本の随所に感じた。
船橋 洋一(朝日新聞社コラムニスト)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)