選評
政治・経済 2005年受賞
『日本の不平等 ―― 格差社会の幻想と未来』
(日本経済新聞社)
1961年、京都府生まれ。
大阪大学大学院経済学研究科博士前期課程修了。
大阪府立大学講師などを経て、現在、大阪大学社会経済研究所教授。
著書:『応用経済学への誘い』(編著、日本評論社)、『解雇法制を考える[増補版]』(共編著、勁草書房)、『労働経済学入門』(日本経済新聞社)など。
所得分配の不平等は多くの学者にとって経済学を始めるきっかけとなるテーマである。大竹氏は10年以上の間このテーマを考え続け、本書をものにした。まずはその姿勢に敬意を表したい。
1980年代以降、アメリカやイギリス等のアングロサクソン諸国では技術革新や経済のグローバル化によって分配が不平等化したという仮説が有力である。本書の最大の貢献は、こうした仮説を日本のデータでチェックしてみると、いずれもあてはまらないという点を明らかにしたことである。すなわち、日本では学歴間、勤続年数間賃金格差等はあまり拡大していない。ただし、所得格差は80年代以降拡大を続けている。消費格差はそれ以上に拡大している。様々な異なった労働者の集団間の格差が拡大していないのに、全体の格差が拡大したのは所得格差が大きい高齢者という集団のシェアが人口の高齢化によって拡大したからである。特に技術の変化等が思ったほどは所得格差につながっていないという指摘は興味深い。分析も著者特有の手堅いものであり、所得、賃金、消費、資産等の様々な次元で格差拡大傾向の有無がチェックされている。以上のメインメッセージに加えて、所得格差が人々によってどう意識されているか、再分配政策には賛成か反対か、成果主義的賃金制度が労働意欲にどのような影響を与えているか等の問題を様々なアンケート調査を用いて分析している点も本書の特徴であり、分配問題の経済社会への影響に関する新鮮な知見を与えている。
分配の問題は奥が深く、本書を読むとすぐにでもいくつかの答えのはっきりしない論点をあげることができる。一般論としては、データの制約による困難が理由と思われるが、所得、消費の格差のきめ細かい分析と比べて、土地を含む資産の格差の分析が不十分に思われる。資産格差は分配の分析では避けて通れない課題である。より具体的にいくつか挙げると、高齢者の所得格差が大きいということだが、その程度は諸外国と比べてどうなのか、格差は生涯の賃金格差で説明できるのか、それとも遺産や資産運用等の要因が重要なのか、一段の高齢化社会を迎える中で高齢者間の所得格差が社会問題化するリスクについてどう考えるか等である。また、若年層では学歴間賃金格差、遺産相続によると思われる資産格差が拡大しているとの指摘がなされている。パート・フルタイム間の賃金格差も無視できない現象である。これらの背後でどのような力学が働いているのか、今後の一段の格差拡大につながる動きなのかどうか等も興味深い問題である。さらに逆説的には、新しい技術に起因する職種間、学歴間賃金格差があまり見られないということだが、そういうことで日本経済は新技術をうまく取り入れていくことができるのだろうかという疑問もわく。こうした問題も含めて大竹氏が引き続き所得分配のテーマの研究を続けられることを希望したい。
植田 和男(東京大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)