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サントリー学芸賞

選評

思想・歴史 2004年受賞

平野 聡(ひらの さとし)

『清帝国とチベット問題 ―― 多民族統合の成立と瓦解』

(名古屋大学出版会)

1970年、神奈川県横浜市生まれ。
1999年、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学(アジア政治外交史専攻)。
日本学術振興会特別研究員を経て、2003年より東京大学大学院法学政治学研究科助教授。2002年、東京大学より博士(法学)学位取得。
専門はアジア政治外交史(特に、アイデンティティをめぐる「中国」「東アジア」政治社会史)。
論文:「チベット仏教共同体と『中華』 ―― 清朝期多民族統合の一側面」(「国家学会雑誌」第110巻第3・4号所収)、「近現代チベット史における『親中』の位相」(『現代中国の構造変動7 中華世界』所収)など。

『清帝国とチベット問題 ―― 多民族統合の成立と瓦解』

 清朝は、満州人が打ち立てた王朝であったが、その皇帝たちは儒教を中心とする漢民族の文化を熱心に学び、実質的に「中華」的価値を体現した中国の王朝であった。これが、教科書的な清朝についての理解であろう。受賞作は、このような通俗的理解を一挙に打ち砕こうとする刺激に満ちた論争的な野心作である。
 清朝の制度が、満州人の制度を前提としたものであったことは、これまでもよく知られている。また、乾隆帝までの時代に行われた遠征で、その版図がチベットや新彊まで広げられたことも知られている。その結果、チベット仏教やイスラムを信じる人々が、清朝のある種の統治(理藩院の管轄)のもとにはいったことも知られている。しかし、それにもかかわらず、清朝はあくまでも漢字と儒教を中心とする中華帝国の最後の王朝であるとみなされ、清朝の版図は、中国史上最大の版図を達成したものとされ、これを基本的にひきついで中華民国そして中華人民共和国の主権国家としての領土が成立するとされるのである。
 受賞作は、このような通念を打ち砕くため、河北省承徳の熱河離宮周辺に乾隆帝が建築した、チベットにある寺院を模した巨大なチベット仏教寺院の数々の存在をまず紹介する。何故、儒教世界「中華」の天子たるべき存在が、チベット仏教寺院を建立するのか。しかも乾隆帝は、熱河離宮(ねっかりきゅう)にパンチェンラマを招き、自らとほぼ対等の待遇をあたえ、朝鮮からの使節にたいして、パンチェンラマに拝礼せよと命じた。朱子学の徒である朝鮮使節らは憤慨し「我らは死ぬ」と号泣したという。著者のいう「清帝国」の皇帝とは、あきらかに儒教の天子のみであるに止まらない存在であった。
 ここから先が、いわば謎解きである。それでは、清帝国とは一体いかなる存在だったのか。著者は、まず満州という名前が、文殊菩薩(マンジュシュリー)にちなんだ「マンジュ」に由来することを読者に思い出させ、清皇帝とは、文殊菩薩にちなむ仏教政治を行なう権力者「転輪聖王(てんりんじょうおう)」なのだとチベット人やモンゴル人に思われたという指摘に至る。漢民族に対するときに儒教の天子である清帝国皇帝は、内陸アジアのチベット仏教徒に対しては、仏教の「転輪聖王」なのであった。
 しかも、この清帝国は、さらに勢力を西にのばしジュンガルを制圧すると、イスラムとも接触する。このプロセスで、深刻な思想的営為をとげた人物こそ、本書中葉の主人公である雍正帝であった。雍正帝は、「華夷思想」との対決のなかから、儒教も、仏教もそしてイスラムも単独で絶対視するのでない「中外一体」の観念を編み出したという。著者によれば、こうして「皇清の第一統」とよばれる秩序が形成されたのであり、「それは様々な世界観に基づく王権像と秩序論を踏まえ、共通する価値を拾い上げながら、しかも個別の世界観とは一定程度の距離を置くことで実現した、それ自体が新たな秩序形成の過程に踏み込もうとする動態的・進行形的秩序」であったと論ずるのである。このような秩序構想があってこそ、漢民族とは全く異なる人々を含みこむ広大な帝国が成立し維持しえたのだというのである。しかし、この秩序の維持は、そう簡単なことではなかった。類まれな皇帝の存在と、これと適合的な社会状況の組み合わせが必要であった。
 本書後半は、この秩序がどのような形で弛緩し、西洋諸国との直接的対決の過程で清帝国が崩壊するに至るかが、これまた論争的な形で議論される。そこでは、現代にいたるチベットを中心とする民族問題の起源が、清帝国の秩序の崩壊の一面として論じられるのである。
 本書によって清朝の不思議さと現代の中国の民族問題の困難さが全面的に解明されたとはいいきれないであろう。論述には難解なところもあり、また著者の提出する証拠についても、まだまだ論争の余地があるだろう。しかし、きわめて知的刺激にみちたアジア史そしてマクロ比較史の一大業績であることは間違いない。

田中 明彦(東京大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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