選評
社会・風俗 2004年受賞
『アフター・アメリカ ―― ボストニアンの軌跡と<文化の政治学>』
(慶應義塾大学出版会)
967年生まれ。
1990年、上智大学外国語学部卒業。
1997年、ハーバード大学大学院博士課程修了、Ph.D.(社会人類学専攻)。
ケンブリッジ大学、オクスフォード大学の客員研究員を経て、1999年より慶應義塾大学環境情報学部助教授。2003年度、安倍フェロー(米国社会科学研究評議会ならびに国際交流基金日米センター)としてハーバード大学ウェザーヘッド国際問題研究所客員研究員を勤める。
専門は文化人類学、文化政策論、グローバリゼーション研究、アメリカ研究。
著書:The American Family: Across the Class Divide(Pluto Press and the University of Michigan Press、近刊)など。
アメリカ東部の都市ボストンは、ボストン「ブラーミン」と称される、この国でもっとも旧く権威ある支配層、富裕階級が存在することでも知られる。ここに君臨する人たちはアメリカの政治、経済、文化にそれこそ建国以来大きな影響を与えてきた。彼らの本拠地であったチャールス川を見下ろすビーコンヒルには褐色のレンガ立ての古い邸宅が立ち並び、今ではボストン史跡の一つともなっているが、ジョン・F・ケリーの邸宅もその一角を占めるといえば、かつての栄光と権力は望めないにしても、まだまだ決して歴史の中に埋没してしまう存在ではないこともわかる。
渡辺靖氏の本書は、文化人類学的なアメリカ社会の研究対象にこの階層の人たちと、それと対照的なサウスボストンのアイルランド系の住民との二つの社会集団を選び、インタビュー調査を中心に研究を行い、アメリカ社会主流といわれる「白人社会」の真っ只中でその実態を明らかにしようと試みた。これは壮挙といってよい学的作業であって、まず対象となる社会集団は最も閉鎖的な集団といわれ、外部のものが容易に近づくことを許さない。ハーバード大学の大学院に在籍していたことも幸いして著者は何とかこの二つの集団に接近することに成功し、見事なモノグラフを書き上げた。サウスボストンはギャングの町とも言われ、イーストウッドの「ミスティック・リバー」の舞台になったことでも知られるが、ここにも入ることができたのである。そのプロセスは調査の手続きとともに明らかにされているが、こうした「白人社会」の実態研究はアメリカでもこれまで例がなく、人類学でも初めてといってよい研究である。他の社会科学でも聞いたことがない。まことにユニークな研究である。その結果は、本書にご覧のとおりであるが、ここに明らかにされるのは、アメリカ社会の「変容」の過程である。「上流」ブラーミンにも変化の波は押し寄せ、かつての特権階級は内的外的に崩れ始め、大学といえばハーバード以外になしとされた時代も遠く過ぎた。婚姻もユダヤ系や日系までも含むようになり社会意識も次第に開かれてきて、「中流化」し始めている。他方、サウスボストンの「移民社会」も大学へ行く青年が増え、そこにもいわば「中流化」の傾向が見え始めた。本書の稀な特色はこうした「過渡期」にあるアメリカを、個々の具体的な人間の生きた声を聞かせながら、描き出したところにある。こうした研究を通してしかアメリカのことは解らない。本書が特に日本においてはじめてのアメリカ社会の中核に迫る研究と評価できるのは、そこである。全体は落ち着きのある文章で書かれていて好感が持てる。いまやアメリカは大きく二つの文化に分かれて社会の分裂も深刻化している。本書はそうしたアメリカの社会的基本を知る手がかりとなる。この意味での「文化の政治学」は不可欠の重要性を持つことであろう。本書の英語版も年末にはアメリカで出版されるとのことである。すでに有力な人類学賞候補に推されているとも聞く。著者がハーバードの大学院に入って指導教授と研究課題について相談したところ、折角、日本から来たのだからアメリカ社会の中心の「白人社会」を対象としたらどうかとのアドバイスを受けたという。それが、本書の原点である博士論文となった研究の出発点であるが、私もよく知る渡辺氏の指導教授たちはそれこそハーバード人類学最後の「ブラーミン」といってよく彼らが去った以後は、この大学も「中流化」してもはや日本から学生を送り出すような対象ではなくなるのではないか。「過渡期」のアメリカはこんなところにも現れている。
青木 保(政策研究大学院大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)