選評
芸術・文学 2004年受賞
『デザインのデザイン』
(岩波書店)
1958年、岡山県岡山市生まれ。
1983年、武蔵野美術大学大学院修士課程修了(デザイン専攻)。
長野オリンピックの開会式・閉会式プログラムや松屋銀座のリニューアルをはじめ、病院のサイン、商品、広告、書籍など幅広い分野においてデザインに携わる。また、「建築家たちのマカロニ展」「リ・デザイン/日常の二十一世紀展」などの展覧会を企画。デザインの領域を広く捉えた多方面にわたるコミュニケーション・プロジェクトを生み出している。
著書:『RE DESIGN ―― 日常の21世紀』(共著、朝日新聞社)、『HAPTIC ―― 五感の覚醒』(朝日新聞社)など。
原研哉『デザインのデザイン』は何よりもまず文章がいいと思った。一言でいえば、明晰な感性、を思わせた。
明晰な感性とは矛盾する形容のようだが、そうではない。デザインとは、思考を視覚化、いや、より正確には、思考を感覚化する仕事である。頭脳の領分を身体の領分に移し変えることだ。頭脳と身体が複雑微妙に交錯していることはいうまでもない。このような仕事においては、明晰な感性は必須である。原研哉の文章はそれを鮮明に感じさせた。文章にすることが難しい領域を、軽快な、ほとんど爽やかと言っていいような筆致で描いている。
受賞理由はこれで十分だろう。もちろん、『デザインのデザイン』は、デザインの現在がどんなふうになっているか、デザイナーたちがどんな問題意識をもってその現在に対応しているか、縦横に語っていてきわめて説得力がある。随所に、写真、ときには図が掲げられていて、それもまた大きな効果をあげている。けれど、もっとも重要なのはそれを導いている明晰な感性であって、それが感じさせる大きな可能性のほうがいっそう魅力的なのだ。
具体的な例を挙げれば、原研哉が企画した「リ・デザイン」展。リ・デザインすなわちデザインのやりなおし。坂(ばん)茂にトイレットペーパーの、佐藤雅彦に出入国スタンプの、隈研吾にゴキブリホイホイの、面出(めんで)薫にマッチの、津村耕佑に紙おむつの、深澤直人にティーバッグの、それこそ「リ・デザイン」を依頼した。その成果はまさに多彩で、トイレットペーパーのロールが四角くなり、ゴキブリホイホイがロール状の粘着テープになるといった具合なのだが、こういう多彩な発想を引き出すところにこそ、明晰な感性の真骨頂があると言っていい。
この明晰な感性は、日本人の欲望のエデュケーションを計画しているのである。近代日本の住空間の貧しさは、住空間に対する美意識が洋服のそれのようにはまだ成熟していないからだと、原研哉は断言している。不動産業者が用いる2DKとか3LDKといった記号が「住空間に対する欲望の水準を低く押しとどめる逆の『教育効果』を生んでしまった」というのである。なるほどと思わせる。欲望のリ・エデュケーションが必要とされる理由だ。
この明晰な感性は、したがって、デザインという仕事がいま抱えこんでいる矛盾をもまた鮮明に浮き彫りにしている。
原研哉は、「『核反対』『戦争反対』というような何かに反対するメッセージをつくることに僕は興味がない」と述べている。「デザインは何かを計画してゆく局面で機能するものであるからだ」というのである。ここに、政治力であれ経済力であれ、力に寄り添うかたちでしか自己実現できないデザインの限界を感じ取るものもなくはないだろう。その限界を指摘し、逆方向からのデザインの可能性を論じるものも出てくるかもしれない。
それこそ願ってもないことである。
原研哉の明晰な感性が重要なのは、それがデザインの現在にひとつの機軸を提供しようとしているからである。『デザインのデザイン』は、原研哉の可能性のみならずデザインの可能性を示唆することにおいて貴重だと思われる。大きな可能性と述べた所以である。
三浦 雅士(文芸評論家)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)