選評
芸術・文学 2004年受賞
『あやかし考 ―― 不思議の中世へ』を中心として
(平凡社)
1960年、京都府京都市生まれ。
1988年、広島大学大学院文学研究科博士課程後期修了(国語国文学専攻)。
広島大学文学部助手、池坊短期大学国文科専任講師、梅花女子大学文学部助教授などを経て、1998年より京都精華大学人文学部助教授。国際日本文化研究センター客員助教授を兼任。2002年、日本文学博士(神戸女子大学)。
専門は日本中世文学。
著書:『「渓嵐拾葉集」の世界』(名古屋大学出版会)、『外法と愛法の中世』(砂子屋書房)、『百鬼夜行の見える都市』(筑摩書房)など。
田中貴子氏の『あやかし考 ―― 不思議の中世へ』は、その題名の示す通り、平安時代末期から室町時代にいたる時期に生まれたさまざまの物語作品に見られる怪異譚を通して、中世の想像力の奥深い豊かさの魅力を伝えるとともに、日本人の心性の根源にも迫る優れた業績である。物語作品と言っても、『今昔物語』や『沙石集(しゃせきしゅう)』のような説話集だけではなく、お伽草子や能、狂言はもとより、当時の日記、道中記に見られる世間の噂話や民間伝承、各種の寺社縁起、説経節、絵巻のような絵画表現によって語られる絵物語、その絵ときをする口誦文芸など、著者の眼配りはきわめて広い。その自在な発想は、国文学、民俗学、美術史、宗教史、芸能論などの従来の学問的枠組を軽々と飛び越えて、それぞれの分野の成果を充分に取り入れながら、ひとつの物語の奥にいくつもの層が重なり合っていることを明らかにして行く。例えば、恋の執念にとらわれた女が恐ろしい大蛇に変身して男を追いかけ、滅ぼすという物語を衝撃的なイメージで描き出した『道成寺(どうじょうじ)縁起絵巻』を主題とする論考において、この絵巻が道成寺の「縁起」を説いたものではなく、熊野参詣の道筋に位置する道成寺が熊野信仰の人気を借りて自己の存在をアピールしようとしたいわば宣伝文書だとする指摘がその一例である。その論証のため、田中氏はまず巨大な百足を退治した俵藤太(たわらとうだ)の物語や『古事談』、謡曲「鐘巻(かねまき)」などの説話を引き合いに出しながら、女が大蛇に変身してまで執着する相手が実は男ではなくて鐘の方だという意外な視点を導き出す。龍宮の宝だという伝承がまつわりついている鐘なら、宣伝材料としてきわめて効果的だからである。現在京都岩倉の妙満寺にある道成寺の鐘の鋳造は、銘文によって14世紀中頃のことと知られるが、現行の『道成寺縁起絵巻』(16世紀後半)の原型の成立がまさしくこの鐘勧進のためだという美術史上の成果に基いて、それ故に鐘が主役となったという立論は、充分に説得力に富む。もちろん、このような成立の事情は『絵巻』のひとつの側面に過ぎない。物語の中核をなす女の怨念の恐ろしさは、『古今和歌集』以来の宇治の橋姫伝説や物語草子『いそざき』と重ね合わされて、もうひとつのトポスを形成する。田中氏は、大蛇に変身した女がいったんは仏典の力で調伏されたように見えながら、実は本当には成仏せず、死と再生を繰り返してまた新しい物語を紡ぎ出す妖しくも魅力的な「悪女」の系譜に連なるものであることを示唆しているが、その見方はおそらくあたっているであろう。まさしく「あやかし」の世界である。
その他にも、ただひとつの言葉の出典と意味の変遷を丹念に辿って神話的思考の本質に迫った「<けころす>考」や、実のならない柿の木の説話から中世人の異界観を解き明かした「境界の柿木」など、興味深い論考が多い。もともと本書は、さまざまの機会に書かれた論文を集めたものだが、「あやかし」に対する情熱が一本の太い糸となって全体を纏(まと)めている。田中氏には、これまでも、ジェンダー論の視点をも取り入れた卓抜な『<悪女>論』や『聖なる女』、都市論としても秀逸な『百鬼夜行の見える都市』などの著作があるが、本書はそれらの業績を受け継いでさらに広く展開したものである。何よりも、一般にはあまり知られていない中世文芸の豊かな宝庫への扉を開いて見せた功績は大きい。新たな俊英の登場を祝福したい。
高階 秀爾(東京大学名誉教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)