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サントリー学芸賞

選評

思想・歴史 2003年受賞

六車 由実(むぐるま ゆみ)

『神、人を喰う ―― 人身(ひとみ)御供(ごくう)の民俗学』

(新曜社)

1970年、静岡県沼津市生まれ。
1996年、静岡県立大学大学院国際関係学研究科修士課程修了後、静岡県・加藤学園暁秀高等学校非常勤講師を勤める。
2000年、大阪大学大学院文学研究科博士課程後期修了(日本学専攻)。
日本学術振興会特別研究員を経て、2001年より東北芸術工科大学東北文化研究センター研究員。2002年、文学博士号取得(大阪大学)。
専門は民俗思想論。
著書:『いくつもの日本Ⅳ さまざまな生業』(共著、岩波書店)
論文:「『人身御供』と祭」(『日本民俗学』第220号所収)、「柳田民俗学における『自己』と『他者』」(『日本思想史学』第28号所収)など。

『神、人を喰う ―― 人身(ひとみ)御供(ごくう)の民俗学』

 まだまだ荒削りの面もなくはないが、溌剌としているというか、なんとも威勢のいい民俗学研究者の登場である。
 六車さんの研究者としての志はひじょうに明快だ。それは、事象の「毒気」や「臭気」を抜き取らないような研究をしつづけること。
 六車さんがそうした「毒気」や「臭気」を、激しいおののきとともにからだ全体で受けとめることになったのは、人身御供という習俗に出会うことによってである。獣の生け贄の儀礼を目の当たりにし、人身御供の説話を耳にしたときの、あのおぞましさ、うとましさ、怖ろしさの感覚を最後まで手放すことなく、その残虐性の根に、ひとがじぶん自身が喰われうる存在であることの恐怖を見て取り、そこから問題を建てなおす。
 そのとき、彼女がなにより避けるのは、共同体の秩序維持のために導入される暴力的儀礼といった「合理的」説明への、事実の回収である。おぞましさや畏れといった「負の感情」を昇華して、当たり障りのないものへと回収するような「研究」のなかで見失われるもの、放棄されるものにこそ、執拗なまでにこだわりつづける。
 生贄という民俗学的事象をめぐって、まずは、大森貝塚の発掘調査から日本人の祖先に人喰い人種がいたとする「モースの食人説」が呼び起こした反響と、皇居の地下で発掘された立ち姿の人骨をめぐる「皇居の人柱事件」の消息から説き起こす。そしてこの忌まわしい主題に対する先達たちの反応をクリティカルに受けとめたうえで、人身御供祭祀の謎を分析すべく、尾張大国霊(おおくにたま)神社の儺追(なおい)祭におけるその祭祀の改変の歴史、さらには花巻・諏訪神社の供養塚をめぐる生贄の物語を、詳しくたどる。
 共同体の起源に深くかかわる供犠、それを再現しつつ隠蔽するのが人身御供譚だとする赤坂憲雄の説に導かれつつ、しかしその暴力排除の論理に甘んじることなく、どこまでも、喰う/喰われる関係にこだわりつづける。そこから浮かび上がってくるのは、「犯す神」(祟り神)から「食らう神」への転位、神の「性的奉仕者」から神の「饗応役」への女性の地位の変化、血のしたたる獣から人形をした神饌への生贄の変容であり、さらには、そうした祭の制度化とともに生まれてくる人身御供の語りであり、人身御供祭祀の創出である。言ってみれば、性と食と暴力をめぐる民俗の想像力が錯綜するその場所に照準を定めるのが、六車さんの仕事なのである。
 村の娘を犠牲にしたという深い負い目の記憶と、ひとびとが押し込めている度重なる飢饉の記憶。生きてゆくためには何ものかを犠牲にせざるをえないという、生きることにまとわりつく負債。それらが残虐な快楽とほとんど区別がつかなくなるような境位からけして眼を逸らすことのない六車さんの筆致は、ときに「師」である赤坂憲雄や中村生雄への手厳しい批判ともなる。が、それは生贄という血なまぐさいものではなく、ごくごく爽快である。

鷲田 清一(大阪大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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