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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗 2003年受賞

瀬川 千秋(せがわ ちあき)

『闘蟋(とうしつ) ―― 中国のコオロギ文化』

(大修館書店)

1957年、東京都武蔵野市生まれ。
1980年、早稲田大学社会科学部卒業(刑法専攻)。
大学卒業後、出版社のアルバイトを経て、フリーのライターになる。その後、中国語を学習し、翻訳に従事しながら中国の民間文化や芸術の取材を始める。現在、「中国」をテーマにフリーで執筆、翻訳活動に携わる。
専門は中国。
訳書:『香港の悲劇』(講談社)、『マンガ般若心経入門』(講談社)、『わが父魯迅』(集英社)など。

『闘蟋(とうしつ) ―― 中国のコオロギ文化』

 「闘蟋のことを書いた本が遂に現れたか!」というのが、本書を手にした時の評者の感想であった。
 中国における闘蟋 ―― コオロギ相撲 ―― について、虫好きの男たちはずいぶん関心を持っていたけれど、本格的な調査をして一書を成す人はなかなか現われなかったのである。そして、その著者は結局女性であった。現在の日本女性の行動力をここに感じ取るのは評者だけではあるまいと思う。
 鶏や犬、牛などを闘わせる遊びは古くから世界中にあった。今はだんだんとそれが禁止される傾向にある。虫同士を闘わせる、となると、タイのカブトムシの闘いや、日本の蜘蛛合戦が知られるぐらいだけれど、中国の闘蟋は古い歴史と文化を持つ、世界一の虫の相撲なのである。
 本来ならば中国語が堪能で、彼の地に長い滞在経験を持ち、中国文化と生き物の好きな日本人の男がとっくの昔に書いているはずの本なのだが、今はなかなか優秀な「玩物喪志」の士が日本に居らぬようである。中国文学者は“文学学”の研究に余念がなく、外交官、商社マンもゴルフや仕事が忙しくて趣味的なことに興味を示す余裕のある人は見当らないのかも知れない。
 闘蟋の中には中国文化が凝集されている。著者はフリーランス・ライターで翻訳家だそうであるが、中国を訪れ、中国人を観察しているうちに、コオロギ相撲が中国の男のかなりの部分にとっての重大関心事であることに注目する。
……中国のコオロギは昆虫としての存在にとどまらず、社会や人の心象を映し出す「なにか」らしいことに気づいた……
 闘蟋は唐代にはすでに行われていたことが文献に出ているというから、千二百年以上の歴史を持つわけである。そして強いコオロギの飼育の方法について、歴代、幾多の書物が書き継がれて来たのである。
 しかもその内容は、中国の料理や漢方薬の処法、医術、房中術同様、「よくもまあ、ここまで」と呆れるほど、微に入り細を穿ち、秘術を尽したものなのである。
 虫を飼っておくための容器に凝って、焼き物で小さな、ありとあらゆる形、ありとあらゆるデザインのものが造られることや、強壮な虫に仕立るための食物の工夫がどれほどのものかは容易に想像されるけれど、コオロギの闘志をかきたてるために、その体をくすぐる草の穂とか、コオロギの寝床とか、体重を量る専用の秤とか、逃げた虫を掴えるための網とかの多様さとなると、さすがは中国人、と感心する。
 一番意外だったのは試合の前に交尾させると雄が強くなるということである。そのための雌コオロギの研究。コオロギにも「あげまん」やその反対がいるそうである。
 コオロギのために国を亡ぼした宰相、賈似道(かじどう)の名著『促職経(しょくしょくきょう)』がコオロギのバイブルと言われているが、その物語も面白く紹介されている。

奥本 大三郎(埼玉大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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