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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学 2003年受賞

飯島 洋一(いいじま よういち)

『現代建築・アウシュヴィッツ以後』を中心として

(青土社)

1959年、東京都練馬区生まれ。
1985年、早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了(建設工学専攻)。
清水建設株式会社本社設計部に勤務の後、芝浦工業大学建築工学科などの非常勤講師を経て、1995年より多摩美術大学美術学部助教授。
専門は建築評論(20世紀建築全般)。
著書:『光のドラマトゥルギー』(青土社)、『王の身体都市』(青土社)、『<ミシマ>から<オウム>へ』(平凡社)など。

『現代建築・アウシュヴィッツ以後』を中心として

 サントリー学芸賞が建築評論に与えられたことは、第一回から選考委員をつとめてきた私にも簡単には思い出せないほど、少なかったような気がする。建築家による空間論のようなものはいくつかあったが、みずから建築批評を表看板にかかげ、建築評論家を名乗る著者は、飯島洋一氏がはじめてではないかと思う。
 飯島氏は、表記の『現代建築・アウシュヴィッツ以後』(2002年5月刊)に近接して、『現代建築・テロ以前/以後』(同年9月刊)を同じ出版社から刊行した。装丁も共通なら本の厚さも全く同じ334ページという、抱き合わせであることは明白な出版である。新進建築評論家の颯爽たる門出にふさわしい気配りといえよう。
 日ごろ内外の建築評論に忠実に目を配ってはいない私のような読者にとっては、飯島氏の論の射程が、まさに現代の思想的課題の隅々まで触手を伸ばしつつ、建築論という根本的主題の手綱を離さずに対象を論じ切ろうとしている誠実さと腕力に、頭の下がる思いがした。
 飯島氏はこの二冊の評論集に「序」として、「書き下ろし」の論文を置いた。すなわち『アウシュヴィッツ以後』の「序」として「二つの忘却 ―― ピーター・アイゼンマンの『ホロコースト・メモリアル』」、『テロ以前/以後』の「序」として「テロリズムと建築 ―― あるいはWTC〔ワールド・トレード・センター〕のパラドクス」である。いずれも、大量殺戮と大量破壊というまさに現代的な大問題が、建築と切っても切れない出来事としてわれわれの世紀にのしかかっていることを主題としている。この二つの出来事から眼をそらすことなく論を立てようとすることは、場合によっては蛮勇をふるって論敵に体当たりし、討ち死にせねばならないことだってありうるような困難を、みずから引き受けるに等しいだろう。
 飯島洋一氏はそのような勇気をもっている人だと思う。『テロ以前/以後』の中には、まさにその問題に触れている一文、「建築批評は必要ない」も含まれている。建築批評というものが置かれている立場の微妙さが、その文章に率直に語られていて、われわれに再思三考を強いてくる。「たとえば美術が『美術』として保証される制度として、しばしば美術館が持ち出されるのと同じような意味で、建築批評にはそれを保証してくれる制度がない。建築批評ばかりか、日本では『建築』を保証する制度自体も不確定なままである。」飯島氏の筆はさらにその先に延び、「少なくともこの国では、誰も心の底で、真に建築批評を必要としていないように感じられるのである。」「この国では基本的に、批評という形態自体が実に成立しにくい政治学のようなものが根底のところに潜在化しているような気がする。」
 飯島氏は、自分の書くものは「『戯言』かもしれない」とまで言っているが、新進気鋭の評論家として、まず最初にこのような覚悟をもって出発したことを激励し、祝福しよう。彼のこういう覚悟のもとに書かれた力作論文集が、二冊、私たちの前に置かれているからだ。

大岡 信(詩人)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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