選評
政治・経済 2002年受賞
『仕事のなかの曖昧な不安 ―― 揺れる若年の現在』
(中央公論新社)
1964年、島根県生まれ。
東京大学大学院経済学研究科第II種博士課程単位取得退学。
学習院大学経済学部専任講師、助教授、教授を経て、現在、東京大学社会科学研究所助教授。この間、ハーバード大学、オックスフォード大学で客員研究員を勤める。
著書:『リストラと転職のメカニズム』(編著、東洋経済新報社)
高齢化社会が進展するなかで、中高年ホワイトカラーの就業確保は声高に論じられるが、若年層の雇用・失業の現状を危惧する声は小さい。若年失業が深刻なものとして議論されないのは、その失業が「自発的」と考えられているからだ。豊かな社会の若者たちは、労働への意欲と自立心を失ってしまったというのである。
こうした大雑把な通説に対して著者の玄田氏は、フリーター、パラサイト・シングルと呼ばれる若者は決して働く意欲が希薄になった人々ではなくて、本人が自覚しないまま、劣悪で不安定な就業形態を選択させられているにすぎないと指摘する。 では何故、若者の雇用状況はかくも悪くなったのか。玄田氏の推論のポイントは、中高年の雇用維持のために多くの企業が新卒の採用を抑制しているからであり、その結果、若者は正規の従業者としてキャリアを積みながら技能と知識を高めて行くこともできず、一時的で将来展望のない種類の仕事にしかつけなくなったというところにある。
本書は「若者弁護」の書ではあるが、日本社会の「老人支配」を告発する書として読むこともできる。語り口は軽妙であるが、語られている内容は重い。問題の根は深く、容易に解決策を手にできるものは少ない。現状は高齢者雇用に対する政府の助成措置ばかりが多くて、若年層に雇用と訓練の機会を与えようとする政策は少ない。
そもそも、雇用調整が、新規採用停止という形で若者の方にシワヨセされてきたのは何故か。それは法制上、日本では解雇がきわめて難しく、リストラが実行しにくいためだ。つまり若者の失業と不完全就業という犠牲の上に、中高年就業者の既得利益が守られてきたと玄田氏は言う。
こうした主張や指摘自体は新しいものではないかもしれない。しかし主張(assertion)だけに終始することは一般に易しい。難しいのは論証(demonstration)である。本書は、良質のデータを集め、丹念な統計処理を施すことによって、きちんとその主張を論証している。これは言うは易く、実行は難しい。「証拠より論」や思いつきの議論が多いなかで、玄田氏の実証精神は高く評価されてしかるべきであろう。各章の議論は、著者が別に発表した論文に裏打ちされおり自信にあふれている。
「いまの若者はだらしない」という老人の嘆きはいつの時代にもあった。この嘆きが、単に「老人支配」を突き崩せない若者のだらしなさに向けられているとするなら、真実として認めざるをえないかもしれない。しかしそもそも若者にその壁を突き崩せるチャンスと条件が与えられていないとすれば、これは日本社会にとってきわめて深刻な問題となる。若者が「曖昧な不安」を持つ社会の未来は、決して明るくはないからだ。こうした大問題を具体的に、やわらかな文体で明晰に論じる若い経済学者が現れたことを喜びたい。
猪木 武徳(国際日本文化研究センター教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)