選評
芸術・文学 2002年受賞
『徹夜の塊 亡命文学論』
(作品社)
1954年、東京都品川区生まれ。
東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。
東京大学教養学部専任講師を経て、現在、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部助教授。
著書:『屋根の上のバイリンガル』(筑摩書房)、『スラヴの真空』(自由国民社)など。
沼野充義の専門はロシア東欧文学。そして20世紀のロシア東欧文学といえば、その過半は、いまや懐かしい言葉になってしまったが、鉄のカーテンの向こう側ということになっていた。とくに第二次大戦後、アメリカの封じ込め政策が始まり、東西関係が膠着し、冷戦状態が始まってからは、東西を分かつ切断線は決定的なものとなっていた。東側から西側への亡命は危険をともない、いやがうえにも劇的なものとなっていたのである。これが沼野充義が亡命の研究に着手した1970年代、80年代の状況である。
興味深いのは、ロシア東欧文学の研究者としてまず留学した先がアメリカのハーヴァード大学だったことである。沼野充義は最初に亡命者の受け入れ先を取材したのだ。そこで彼はじつに多くの亡命文学者にインタヴューしている。そしてその後に、ソ連、東欧に留学したのだった。言ってみれば、ロシア東欧文学を研究するためにまずアメリカに留学したわけだが、この選択が沼野充義の文学研究にじつに広い視野をもたらしたと思われる。複眼の思想である。ロシアをアメリカから見、アメリカからロシアを見る。そのうえでさらに日本を見、日本から見る。独特な方法と言っていいだろう。
『徹夜の塊 亡命文学論』は、そういう沼野充義の方法の成果である。徹夜の魂ではない。徹夜の塊である。徹夜の魂と言えば、まるで徹夜で亡命を考えている一徹な魂とでもいった感じだが、魂ではなく塊なのであって、その心は、収録されている文章のすべてが締切に追われ追われて徹夜してしまったその挙げ句の果てであるということなのだ。これがはたしてロシアふうジョークになっているかどうか詳らかにしないが、なかば自嘲気味なこの姿勢がロシア人ふうであることだけは確かだろうと思う。
もちろん、ロシア人ふうな姿勢が評価されて授賞ということになったわけではない。そうではなく、先に述べた独特な方法が評価されたのであって、そのことはたとえば『徹夜の塊 亡命文学論』の重要な主題、ロシア文学とは何かという問い掛けに端的に示されている。それはロシア文学とはそのままロシア語文学なのだろうかという問いであって、これはたとえば平安朝から江戸期にいたる漢詩は日本文学であるか中国文学であるかという問いと相似である。沼野充義は、プーシキンもツルゲーネフもトルストイも日常生活ではかなりの場面でフランス語を使っていたという単純な事実に注意を促している。ラテン語あるいは漢字の例を引くまでもない。文学は最初はすべて国際文学、世界文学であったのであり、文学者たるものすべからく国際人、世界人であったのである。近代になって各国文学が確立して以後はじめて、文学者の亡命問題も切実なものになったのであった。
この種の問題はしかし近代になって解消したわけではない。たとえば多民族国家ロシア、いや多民族国家連合ともいうべきロシアにおいては、ロシア語はいまなお国際語の位置を占めているのである。これは、たとえばいわゆるラテン・アメリカ文学なるものが南米の各国文学の集合体であるのと、ある意味で似ているということである。ああ、そうだったのかと思わせずにおかない指摘である。
『徹夜の塊 亡命文学論』の魅力の一端だが、ここには世界文学を眺めるためのじつに新鮮な視点が潜んでいると言っていい。知的好奇心を刺激する一冊である。
三浦 雅士(文芸評論家)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)