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サントリー学芸賞

選評

思想・歴史 2001年受賞

菅野 覚明(かんの かくみょう)

『神道の逆襲』

(講談社)

1956年、東京都足立区生まれ。
東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。
東京大学文学部助手を経て、現在、東京大学大学院人文社会系研究科助教授。
著書:『本居宣長―言葉と雅び』(ぺりかん社)

『神道の逆襲』

 おもしろすぎる、というのが唯一の欠点の快作である。
 日本の神さまって何だ?この素朴でかつ根源的な問いに対して、著者は、三波春男の有名な「お客さまは神さまです」という名言をひっくり返して、日本人にとって「神さまはお客さまです」と定義する。「人々にとって、神さまはある時、突然、どこからかやって来るものであった。神さまがやって来たことがわかると、人々は神さまをお迎えし、適切な応対をした後に、再びお帰りいただく。これが日本人が古くから行ってきた、神さまとのおつき合いの基本であった」。
 そう、神さまとは、あるとき突然やってきて、われわれに晴れがましい気分を味わわせると同時に、ある種の不透明さをもたらす異物でもある。著者はその神さま感覚を、家に客が来ているのを知った子供の心理で説明する。子供は、客の訪れとともに、見慣れた日常が反転して、いわく言い難いものに変容するのを感じる。この著者はこうした日常の風景の変容・反転をもたらすものとして神を捉える。「神と人々のかかわりとは、この、もてなしつつ待つことに他ならない」。
 では、この風景の反転の中に感じられる神とはどのようなものなのか?著者は秀逸にも、それを萩原朔太郎の小説『猫町』をもって説明する。「神がじかにあらわれる世界は、不気味で恐ろしい世界でもあり、異様に魅惑にあふれた世界でもある。ただ問題なのは、その異形の世界は、人々の見慣れた日常世界と、『骨牌(カルタ)』の裏表のように一体のものであるということなのである。詩人の見た『猫ばかりの住んでる町』は、実は『普通の平凡な田舎町』と同じなのである。そしてこの同じものの反転において、ただの猫、ただの狐、ただの雨、ただの雷が、それぞれ神であるのだ」。
 著者はこの「神さま」の定義から、日本的「神道」の教説をわかりやすく、かつ大胆に読み解いていく。たとえば、北畠親房の『神皇正統記』の「日本は神国である」という思想は、なにも全能の神が守ってくれる無謬なる国という意味ではなく、崇高であると同時に不気味であり、なおかつそれが分かち難く結び付いている「神」と同居する希有なる国というかたちで捉えるべきであるという。
 また、伊勢神道は、内宮と外宮という「二」として存在する神を「一」の神として理解する仕方、すなわち「二」にして「一」、「一」にして「二」である神の形而上学的な把握として生まれたものだと解釈される。
 同じく吉田神道は、八百万神を超越的に主宰する究極神、「多」にして「一」、「一」にして「多」の神の観念を創出しようとした思索である。さらに、垂加神道、賀茂真淵から本居宣長をへて平田篤胤へと至る国学・復古神道などの教説も、こうした日本的「神」の特殊性を機軸にして読み直される。
 詩人的直感と研究者の緻密な論理を合わせ持つ才能だけが成しえた日本の「神」と「神道」の優れた分析である。

鹿島 茂(共立女子大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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