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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学 2001年受賞

田中 優子(たなか ゆうこ)

『江戸百夢 ―― 近世図像学の楽しみ』

(朝日新聞社)

1952年、神奈川県横浜市生まれ。
法政大学大学院人文科学研究科博士課程修了。
法政大学第一教養部専任講師、同助教授を経て、現在、法政大学第一教養部教授。
著書:『江戸の想像力』(筑摩書房)、『近世アジア漂流』(朝日新聞社)、『江戸はネットワーク』(平凡社)など。

『江戸百夢 ―― 近世図像学の楽しみ』

 田中優子さんの江戸学は『江戸の想像力』に始まり、『江戸の音』、『近世アジア漂流』などをへて、いまこの『江戸百夢』にいたって、いよいよ円熟の境に達したようだ。江戸=田中用語で言う「めでたい」豊かさが、まさにここに現出している。
 まずは田中さんの、対象となる絵図の本質をしっかりと把えた上での、解釈、連想、そしてそれを述べる文章の自由自在さとのびやかさ。田中優子自身がすっかり江戸人の「めでたさ」を身につけてしまっている。
 たとえば開巻劈頭、「大根だって死ねばスター」と題して伊藤若冲の『野菜涅槃図』を語った1章。横たわる1本の大根を釈迦に「見立て」、まわりにその死を嘆く野菜を「尽くし」て並べたという、江戸図像得意の2方法を指摘するのは、田中江戸学としては当然の手続きだが、さらにこうも言うのはその円熟度をよく示す。――「こんな江戸人が西欧に生まれ、十字架のキリストを大根なんぞにしてしまったら、どんな目に合うことか。(色男業平の涅槃図もあったように)ドンファンやカザノバにでもしようものなら、火あぶり間違いなしだ。」
 言われてみれば、まさにしかり。同時代ヨーロッパに比べて江戸はなんとまあ自由自在な世界であったことよ。一勇斎国芳の、東海道五十三次をもじった『猫飼好(みょうかいこう)五十三疋』を説いて、これは「まさに『101匹ワンちゃん大行進』の猫版」なりと言い、猫どもが「自由自在に人間と共演するところなどは、ディズニーもまっさお」と結ぶのも、痛快にしてかつ正解。
 このように、江戸を論じながらしばし江戸を離れて空高く舞いあがり、同時代・後代の世界をはるかに鳥瞰したと思うと、江戸の獲物の上にまっすぐに舞いおりる――この比較文化的跳躍のみごとさは、並の国文学者、あるいは美術史家にはとうてい期待しえないものだろう。
 翼ある比較江戸学の実践のために、この本にはポルトガルもアムステルダムもフェルメールも金唐革もカスティリオーネ(郎世寧)もつぎつぎに登場しては、江戸百夢の「連(れん)」のなかに巧みに織りこまれてゆく。「近世都市に船が行く」の連章では、『清明上河図』や『姑蘇繁華図』が出てきて、それらが出光美術館の『江戸名所図屏風』と結びつけられている。私は自分が書こうとしている論題を先取りされたかと、ひやひやした。
 だが、更紗の袋に入った『和唐珍解(わとうちんかい)』という「へんな本」をとりあげて、「インド更紗に踊る花唐草、目や耳から入ってくる外国語の響き、異国のにおい――18世紀は地球上のどこも、そんな空気を共有していた」と書かれては、その文の藝のうまさ、面白さに、「脱帽(シャポー)」と言う以外にない。
 そして広重の『名所江戸百景』中の4点を論じた「そして誰もいなくなった」「通り過ぎたの?これから来るの?」の2章は、これまた極上。田中優子は天保あたりの江戸生まれ、江戸育ちかと思うほどの、読みの深さ、周到さ、そして文章の艶。誰しも「脱帽(シャポー)」とうなってしまうだろう。

芳賀 徹(京都造形芸術大学学長)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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