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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学 2001年受賞

岡田 暁生(おかだ あけお)

『オペラの運命 ―― 十九世紀を魅了した「一夜の夢」』

(中央公論新社)

1960年、京都市生まれ。
大阪大学大学院文化研究科博士課程修了。
ドイツのミュンヘン大学、フライブルク大学に留学後、大阪大学文学部助手を経て、現在、神戸大学発達科学部助教授。
著書:『<バラの騎士>の夢』(春秋社)

『オペラの運命 ―― 十九世紀を魅了した「一夜の夢」』

 私事で恐縮だが、実は私はオペラが好きではない。というより、オペラやオペラハウスを取り巻く独特の雰囲気のようなものに馴染めないと言った方がよいかもしれない。だから、オペラは都市文化の華である、東京という大都会にすらちゃんとしたオペラハウスのない日本の文化は表面的でお寒い限りだ、などという議論を聞くと、どこか違和感を覚えるのが常であった。もちろん音楽を専門に研究する立場の者として、そうも言っておれないので、オペラの歴史を書いた概説書を読んだりもするのだが、何を読んでも、個々のことがらについては納得がいっても、普通のコンサートホールとは違う、オペラを取り巻くあの独特の雰囲気について何かがわかったという気がしたためしがなかった。
 岡田暁生氏の『オペラの運命』は、そういうもやもやを見事に吹き飛ばしてくれる快著である。一方で19世紀に誕生した新しい社会を担う市民階級の文化的象徴でありつつ、他方でそれが、市民社会が否定したはずの貴族社会の華美な社交空間のあり方と微妙に癒着することによって成り立っているという、その独特の二重性こそがあの独特の雰囲気の源にあるということ、私がオペラに馴染めないことも、日本の都市にオペラが根付かないことも、まさにそのことゆえであるということを、この本は快刀乱麻を切る如くに鮮やかに明らかにしてくれる。
 もちろん、歌劇場という制度やその運営の実態を明らかにし、それがどのようなイデオロギーとの関わりのもとに成り立ってきたかといったことを照らし出すような研究は、音楽に関しても社会史的な研究が急速に増えつつある現在、他にもないわけではないのだが、岡田氏のこの著書のおもしろさは、歌劇場という箱についての議論をこえて、それとの関わりの中で、そこで上演される様々な作品を新たに再解釈し、位置づけ直す、まさに「オペラ史」の概説書にもなっているということである。モーツァルトのオペラの重要な場面でアリアではなくアンサンブルが出てくるのはなぜなのか、「アイーダ・トランペット」などという特殊な楽器がどうして使われているのか、といったことが、オペラをめぐる同時代の背景との関わりの中で次々と解き明かされてゆく、まことに明快な本なのである。
 たしかに、ちょっと明快に過ぎるという感じもないわけではない。実際、選考の過程で、記述が一面的で議論がちょっと乱暴なのではないかという否定的な意見もあった。しかし手軽に読める新書版という形態の本で、オペラ史という大きな対象を相手にすべてを論じ尽くすことなどできるものではない。少なくとも、これまであまりにも「わからなすぎた」オペラ史であるだけに、まずは「わかりすぎる」くらいに単純化してみてちょうど良いのではないだろうか。そこから先はまた著者の今後に期待することにしよう。

渡辺 裕(東京大学助教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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