選評
思想・歴史 2000年受賞
『ゴシックとは何か ―― 大聖堂の精神史』
(講談社)
1954年、東京都世田谷区生まれ。
東京大学大学院フランス文学研究科博士課程修了。
電気通信大学人文社会科学系列助教授などを経て、現在、法政大学第一教養部教授。この間、文部省在外研究員としてパリ大学留学。
著書:『バタイユ-そのパトスとタナトス』(現代思潮社)、『バタイユ入門』(筑摩書房)
歴史研究においてもファースト・インプレッションがいかに重要かを教えてくれる小さな名著である。留学中の冬のフランスでボーヴェのサン・ピエール大聖堂と対面した著者はこんな印象をいだく。「北方の暗い空を背景にそそり立つおどろおどろしい大建築物。もの言いたげに迫ってくる不吉な巨体。ゴシック様式の大聖堂が私の心に最初に食い入ったときの印象である。この印象とともに私は、ゴシックを見た、という思いにはじめて襲われたのだった。」
ではなぜ、このファースト・インプレッションが大切なのか?異教徒としてゴシック大聖堂に接したときの、崇高で、かつおどろおどろしいという印象が、ゴシック大聖堂の建立を必要とするに至った中世の農民たちの心性を想像するのに大いに役立ったからである。
紀元11世紀の北フランス。鬱蒼たる森に覆われた大自然の中で暮らす農民のほとんどはケルトやゲルマンの森の大母神を信ずる異教徒だった。やがて、森を恐れないシトー会修道院の大開墾運動が始まると、森林はどんどん伐採されて農地が拡大し、食料事情は好転したが、それは逆に過剰な人口増加をもたらしたため、余剰人口は都市に集まった。根無し草となった彼らは失われた森の代理物を求めるようになる。ここで生まれたのが、聖母マリア信仰に基づく大聖堂の建立だった。というのも、マリア信仰と大聖堂の建立は、じつは民衆の地母神崇拝と森への畏怖をキリスト教的に解釈し直すことで、自分たちの権威を強化しようと考えたカトリック教会と国王が生み出した表象的代理物にほかならなかったからである。ゴシック大聖堂の地下を掘ってゆくとケルト信仰の聖所に行き当たるし、聖堂の内部は、失われた聖なる森のイメージで作られていて、異教徒だった農民の信仰心を呼び起こすのに役立ったのである。
ゴシックの聖堂の登場と同時に、その中に収められたキリスト像のイメージも変わる。元 気のいい「勝利のキリスト」から、脇腹から血をしたたらせる「苦悩のキリスト」にイエス像は変容を遂げる。「苦悩のキリスト」は、大地母神に生け贄を捧げたケルト人にとっては、神に捧げられた犠牲であり、彼らはキリストの苦悶に自分たちの苦しみを重ね合せることで、 魂の救済が可能になると感じたのである。
このように出発点で得た「おどろおどろしさ」と「崇高さ」というおのれの印象を手掛かりにゴシック大聖堂を考察したことが、論稿全体に一貫するテーマを与えることになる。すなわち、その後、ルネッサンスと宗教改革でゴシック建築が否定されたことも、また18世紀末から、イギリスやドイツでゴシックが復活し、ロマン主義を準備したのも、キリスト教 の中に吸収された異教的な恐怖と崇高さの原理から説明できるからである。
ゴシック建築を美術の様式としてではなく、歴史・社会・文化のコンテクストから考察するという野心的試みに著者は見事に成功している。
鹿島 茂(共立女子大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)