選評
社会・風俗 2000年受賞
『中国料理の迷宮』
(講談社)
1949年、東京都港区生まれ。
成城大学文芸学部卒業。
リスボン・グルベンキャン大学、パリ・コンセールヴァトワールにおいて音楽美学を講じるかたわら、文革中の北京で中国美術品の鑑定と国際市場価格査定に携わる。実家の美術商を継ぎ、またフランスでミシュランのレストラン及びホテルガイドブック審査員、NHK「男の食彩」キャスターなどもつとめた。
著書:『怖ろしい味』(文藝春秋)
勝見洋一氏の『中国料理の迷宮』は、悠久の時間の流れと、広大な大地に繰り広げられた中国の歴史を、料理を通して語るという、ユニークな試みである。
特に、清王朝の成立から文化大革命を経た現代までを、一貫して、国家、政治権力と料理との関係において、きわめてリアルに見つめたことは、今までに類例がなく、高く評価してよいものと思われる。
中国料理は世界中に広まっているけれど、それはとりもなおさず、華僑社会によって伝播された広東式中国料理なのだ、と著者は言う。それと本土の共産主義国家の中での中国料理とを二つに分ける明確な視点を提示したうえで、更に、「政治と経済なしに料理は成立しない。その意味で、料理は社会を写す鏡である」と主張する著者の考え方には興味深いものがある。
自身現場にいて体験したという、文化大革命時代の冷静な記述も貴重な資料となっている。
毛沢東の権力奪回闘争に端を発した、十年間にわたる大混乱の時代を、食という角度から浮彫りにし、農村が都市を包囲し、攻撃するという文革の理念が、どう料理に影響を与えたかを見据えた文章は、他に類例を見ないものである。
外国人によってはじめて記述された内容も多く、激動期の現代中国を描くことで、単に歴史の分析に止まらず、肉体を有する人間というものの分析に筆が及んでいる。
料理は文化ではなく、風俗なのだ、と著者は規定する。そして社会風俗の中での中国料理の変遷を語っている。それがかえって中国料理の味覚の世界に奥深く分け入ることにつながっているようである。
まず、作家魯迅がはじめて北京に到着した日を中心とした、当時の食風俗の記述はきわめて実感的、具体的で、なるほどそういうことかと、膝を打ちたくなる。
豊富な文献資料とともに、芸能の世界から立ちのぼって来る匂いや、当時の料理店の有様を細部にわたって検証していく筆致は、時代そのものを抉り出している。
次には、清王朝の覇権掌握の手段が、深く食に及んでいくことを詳しく指摘する。その政治的意図が介入した風俗の中で、料理がいかに興亡していくかについての歴史的記述も説得的で、政治的意図を体現する国家というものの性格と、料理との鮮やかな対比がここにある。
圧巻は、やはり著者が肌で感じ、実際に体験した文革についての考察であろう。
ここで著者は、文革の当事者たちの出生を調べ、従来知られていなかった、北京対上海の対立という、新しい視点を提示した。
更に、文革の時代に一般中国人が体験した悲喜劇を、味覚を通じて語りぬいた。
単に中国料理をレポートするのではなく、もちろん政治のみを語るのでなく、食を中心に据えた人間という角度から、生々しい中国の近代と現代の歴史を照らし出すことに成功している。
今後の研究の布石となる提案も多く、サントリー学芸賞にふさわしい作品と考える。
奥本 大三郎(埼玉大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)