サントリー文化財団

menu

サントリー文化財団トップ > サントリー学芸賞 > 受賞者一覧・選評 > 古田 博司『東アジアの思想風景』を中心として

サントリー学芸賞

選評

社会・風俗 1999年受賞

古田 博司(ふるた ひろし)

『東アジアの思想風景』を中心として

(岩波書店)

1953年、神奈川県横浜市生まれ。
慶応大学大学院文学研究科修士課程史学専攻修了。
韓国・漢陽大学人文社会学部専任講師、下関市立大学経済学部助教授を経て、現在、筑波大学社会科学系助教授。
著書:『朝鮮民族を読み解く』(筑摩書房)、『悲しみに笑う韓国人』(筑摩書房)

『東アジアの思想風景』を中心として

 「東瀛の畸人」と、帯に謳われるのは著者のことである。ウウッ、こんな字読めないぞと狼狽する無教養な倭奴の私。結局は忌々しくも電脳の検索機能に縋って、これがトウエイで日本を意味することを知ったのだった。
 本書には、このような懐かしく凛々しい古典漢文の言辞が溢れて、絶滅寸前の稀種の蝶々が目も彩に飛び交う森を歩くようである。そもそもこの畸人古田氏こそ稀種の最たるもので、日本教養主義最後の光芒を鬼火のように纏い、うたた蒼然、危ういほどに冴えて居られる。荷風散人を最後に絶滅したかと思われた種の残存を知って、まずは嬉しい。
 サブカルチャーなど文化とは認めぬこの頑固な教養主義者は、「明るい頽落」に被われた母国を逃れて80年代の前半を韓国で過ごした。朱儒を奉じる韓国型教養主義の君子連からは「夷狄」扱いだが、知識などなくても聡明な庶民たちは直情径行に心を開いて、優しく濃やかな夜の底を共に蠢いてくれる。かくて「青楼一覚の夢に酔い痴れ」る「淫蕩懶惰の日々」が始まったそうだが、民衆の深い根っこに触れる交情があってこそ、古田氏の研究に熱い血が通ったのだろう。これほど愛情の篭ったアジア論を他に知らない。今やほとんど恐怖か嘲笑をもってしか語られなくなった北朝鮮に対しても、氏の筆は暖かく、その眼差しには愛するものの哀しみが漲っている。なにしろ北朝鮮の新聞を二十年間読み続け、普天堡電子音楽団の北朝鮮歌謡を聞きつつ床に就くという方なのだ。
 だからといって批判には亳も遠慮があるわけではない。北も南も儒教も民族主義も、鋭く痛快な筆鋒に小突き回される。何を語るにも情理愛憎複雑に入り組む、一筋縄ではいかない論客なのである。
 日本、中国、韓国、北朝鮮、ベトナムなどの国々は一応儒教文化圏としてくくられてきたが、儒の染めムラは甚だしく、時と所で濃淡が違い、まるで逆の色になってしまうこともあるらしい。その違い方が、本書を読んでよくわかったし、東アジアの共通項は儒教ではない、単一民族国家の独り善がりの中華思想なのだと言われて成る程と納得してしまった。「悠久の東アジアは相互不信の悲哀の国家群」なのである。
 古田氏はまた、心身完膚なく商品化された消費型資本主義の大衆情報化社会で「私欲の道徳化が実現し、共同態の黙契が崩れた」ことを繰り返し慨嘆して止まない。しかし共同態への郷愁が惹起するかもしれない過激なナショナリズムや宗教ファシズムの危険も冷静に指摘する。
 冷戦という「第三次世界大戦」が終わり、思想や主義がことごとく崩壊した廃虚の中にあっても、氏は「変わらぬ民衆の古層」を凝視め続け、そこに連帯の希望をつなぐのである。

桐島 洋子(作家)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

サントリー文化財団