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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学 1999年受賞

佐藤 道信(さとう どうしん)

『明治国家と近代美術 ―― 美の政治学』

(吉川弘文館)

1956年、秋田県本荘市生まれ。
東北大学文学部修士課程修了。
板橋区立美術館学芸員、東京国立文化財研究所研究員を経て、現在、東京芸術大学美術学部助教授。
著書:『河鍋暁斎と菊地容斎』(至文堂)、『<日本美術>誕生』(講談社)など。

『明治国家と近代美術 ―― 美の政治学』

 例えば「絵画」や「彫刻」といったような美術分野の呼び名、「風景画」「肖像画」「歴史画」のようなジャンル名、さらには「写実主義」「自然主義」等の批評用語など、今日われわれが普通に使っている美術用語は、いずれも明治期以降に登場してきたものである。そもそも、「美術」という言葉自体が、江戸時代以前には存在していなかった。ということはもちろん、美術作品そのものがなかったということではない。だがかつて屏風とか軸物とか座敷飾りとよばれていたものが、「絵画」という名称のもとにひとつに纏められた時、実体に変化はなくてもその社会的あり方は微妙に変らざるを得ない。そのことは当然、「絵画」を制作する芸術家たちにも、影響を及ぼさずにはおかないであろう。
 佐藤道信氏の『明治国家と近代美術』は、このような新しい用語の誕生を手がかりとして、一方でその登場の理由、言葉の本来の意味とその変遷、その原因でもあり結果でもある社会制度の実体と影響を、さまざまの資料・文献を丹念に渉猟することによって明確に跡づけ、他方ではではそのような社会的枠組みの変化が芸術家の創造活動とどのようにからみ合っているかを解明しようとした労作である。それは、日本近代美術の歴史に、新しい光を投げかけた業績として、高く評価されるものであろう。
 本書は、「近代美術の政治学」、「近代美術の言語学」、「近代美術の組織論」の3部から成り立っており、それぞれ独立したいくつかの論文を含んでいるが、各論文は相互に密接に関連しており、問題意識は一貫している。分析と論証の手続きがきわめて実証的で、多くの重要な資料がその裏付けとして提供されていることも、本書の大きな美質であろう。たとえば、明治新政府の殖産興業政策が「工芸」――これもまた新しい概念であるが――の発展を促がし、それが欧米における日本美術観の形成にどのような影響を与えたかを詳細に辿った論考や西欧の手本に倣って開催された内国勧業博覧会において、当初の2回(明治10年、14年)では絵画と書は「書画」というひとつの分類にまとめられていたのに、第3回(23年)以降「絵画」の概念が成立して書はそこからはじき出され、第5回(36年)以降姿を消してしまったこ、それと並行して、東京美術学校の教科や文部省主催の官設展からも書が排除されていった過程の跡づけなど、西欧の理念に基づく近代化と日本の伝統とのせめぎ合いを改めて考え直す契機を与えてくれる。さらに、西欧の写実主義美学の導入において狩野派や円山四條派の果たした役割の指摘、画家の雅号の社会的意味についての新鮮な解釈、美術史学の成立に関する歴史的考察など、多くの刺激的見解が展開されている。その点で本書は、従来の芸術家・作品中心の美術史に対して、広い意味での受容論ないしは社会史的視点による美術史と言うべきものであるが、今後日本の近代美術を論ずる者にとって、避けることのできない重要な基本的文献となるであろう。

高階 秀爾(国立西洋美術館館長)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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