選評
思想・歴史 1998年受賞
『北の十字軍 ――「ヨーロッパ」の北方拡大』を中心として
(講談社)
1949年、北海道小樽市生まれ。
一橋大学大学院法学研究科博士課程修了。
成城大学法学部教授を経て、現在、一橋大学法学部教授。
著書:『新ストア主義の国家哲学』(千倉書房)、『掠奪の法観念史』(東京大学出版会)など。
「北の十字軍」とは一般の人びとには馴染みの薄い言葉だろう。通常、世界史の上でもちいられる「十字軍」といえば、エルサレムの聖地の奪回をめざして、中世のヨーロッパが東方に向かって繰りひろげた遠征を指すからである。本書で扱われている「北の十字軍」とは、同じ中世のカトリック・ヨーロッパがおこなった十字軍活動のなかでも、ロシアやプロイセン、バルト海沿岸地域に向かってのそれを指す。
その具体的な内容は、ドイツ史の上でこれまで「東方植民」の名のもとに語られてきたことと相当程度まで重複する。たとえば、ドイツ騎士団がバルト海沿岸に進出して国家を築いたことは、高校の世界史の教科書でも触れられているが、山内氏は、「ドイツ騎士修道会」という訳語を当てながら、この組織がヨーロッパの北方で展開した戦闘や殺戮ぶりを詳細に描き出す。本書の特徴の一つは、このドイツ騎士修道会のことも含めて、中世ヨーロッパが北方に向かって企てた征服とカトリック化の過程を、広汎な史料と文献の渉猟にもとづいて詳細かつ包括的に描き切ったところにある。
しかし、山内氏がこの一連の歴史事象をドイツ人の「東方植民」としてではなく、わざわざ「北の十字軍」として扱ったことは、それなりの深い意味をもつことも知る必要がある。氏は、中世を通じて北辺のスラヴ人等の異教世界へ向かって繰りひろげられたキリスト教世界の征服と伝道のなかに、16世紀以降におけるヨーロッパの世界に向かっての拡大の原型を見ようとする。つまり、アフリカやアメリカへ向かっての近代ヨーロッパの拡大は、中世の「北の十字軍」のなかで準備され、そこに原型をもつというわけである。
ただし、「北の十字軍」と近代ヨーロッパの拡大は、その非ヨーロッパにたいする攻撃性や掠奪性においてだけ、互いに似通っていたわけではない。同時に、ヨーロッパの非ヨーロッパにたいする征服を批判する勢力と論理を生み出したという点でも、両者は相通ずるところがあった。このことを明らかにするために、山内氏は、本書の末尾の方で、十五世紀初めにポーランドの教会法学者パウルス・ウラディミリが展開した「異教徒の権利を尊重せよ」という議論を立ち入って紹介している。このあたりの叙述は、著者の歴史にたいする並々ならぬ洞察力の深さを物語るものであろう。
なお、山内氏は、すでに『新ストア主義の国家哲学』と『掠奪の法観念史』の二つの学術書を発表している。いずれも、ヨーロッパ史における中世と近代の連続性と非連続性の双方を意識した、重厚で独創性に富んだ研究である。今回の受賞対象となった書物は、これらの研究の流れから生まれた優れた業績ということができよう。
野田 宣雄(南山大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)