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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗 1998年受賞

四方田 犬彦(よもた いぬひこ)

『映画史への招待』を中心として

(岩波書店)

1953年、兵庫県西宮市生まれ。
東京大学人文系大学院比較文学比較文化学科博士課程修了。
韓国・建国大学客員教授、明治学院大学文学部芸術学科助教授等を経て、現在、明治学院大学文学部教授。
著書:『映像の召喚』(青土社)、『月島物語』(集英社)、『電影風雲』(白水社)、『空想旅行の修辞学』(七月堂)など。

『映画史への招待』を中心として

 1995年11月、南インドのケララ州の首都トリヴァンドラムにゴーパーラクリシュナン監督の新作の試写を観るために訪れた四方田犬彦は、この南インド映画界のマエストロの原風景を見ようとさらに山地を車で四時間ほど登って彼の育った僻地の村に行った。そこで椰子の林と水田のどこまでも続くのどかな農村を見て、南インドの風景と監督にかぎりない親密さを感じたと記している。
 この本は年間900本台の映画を生産する大国インドの映画風景から「映画史」の森へ読者を誘ってゆく。トリヴァンドラムだけでも平均約90本の映画を作っているし、ボリウッドと称されるボンベイには150ヘクタールの広さをもつ世界最大のオープンスタジオがあり、年250本ほどの映画がそこで作られている。
 しかし、ボンベイのビデオ店の店員はゴーパーラクリシュナンの名もサタジット・レイの名も知らなかった。ボンベイはマラティー語圏であり、ヒンディー語とマラティー語の映画のビデオがその店には置いてあるだけであった。インド映画900本といっても、その言語はゴーパーラクリシュナン監督作品に用いられるマラヤーラム語の他、マラティー語、タミル語、カンナダ語、ベンガル語、ヒンディー語などがあり、南インドは全体の65%の制作本数を占める(1996年度)が、その使用言語は主なもので五つある。最近私の観たもっともすばらし い映画の一つはチェンナイ(旧マドラス)出身のマニラトラム監督のタミル語映画『ボンベイ』であるが、全インドでヒットさせるためには各地域に合せた翻訳字幕を作らなければならなかった。
 著者がトリヴァンドラムとボンベイで映画のインド体験をしたのは、リュミエール兄弟がリヨンで1895年にシネマトグラフを発明してから100年目のことであった。
 このような「南インドの教え」に始まる「映画史」は、これまでの欧・米・日中心の映画論への批判や逆説を散りばめながら展開されてゆく。それは四方田的方式による一大パノラマ映画を観るようであり、暗闇と書斎に強いだけでなく、それこそ世界の隅々まで飛んでゆく身の軽さと行動力の持主であるこの「全方位オタク」の知的力量を知らされることにもなる。とくにサドゥールの「映画史」が「国家別」であることを映画という創造ジャンルの性格から豊富な例をあげて批判した第I部第4章など、この部分だけで一冊ものして欲しいと願わずにいられない。知識と内容の充実と、映画をいまだにきちんと評価できない気のする文化的未成熟国日本にとって、実に頼もしい本が出現した。けだし当然の受賞であると思う。サントリー学芸賞の受賞が一層の映画文化発展に役立たんことを祈る。
 それにしても、四方田氏は多芸多才な人である。とかくせまい「専門」にこもり勝ちで外へ向けての発信性に弱い現代日本の学者・文化人の間にあって、四方田氏の存在は大きな希望を与えてくれる。タンジールにポール・ボールズを訪ねて、その著作集の翻訳刊行を手がけ、月島へ住み込み下町生活誌を出すかと思うとトスカーナに現われ、コロンビア大の生活も楽しみ、香港で飲茶と映画に戯れる。小気味良い冗舌も併せもつこの行動文化人に心から拍手をおくる。願わくはこれからも旧に倍する行動スケールの大きな文化活動を行なって、私たちの蒙を啓いてもらいたい。

青木 保(東京大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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