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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗 1998年受賞

原 武史(はら たけし)

『「民都」大阪対「帝都」東京 ―― 思想としての関西私鉄』

(講談社)

1962年、東京都渋谷区生まれ。
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程中退。
東京大学社会科学研究所文部教官助手を経て、現在、山梨学院大学法学部助教授。
著書:『直訴と王権』(朝日新聞社)、『<出雲>という思想』(公人社)

『「民都」大阪対「帝都」東京 ―― 思想としての関西私鉄』

 近頃「官」の凋落は目を覆うばかりだが、その傷だらけの脛に取り縋る「民」の醜態も見苦しい。情けない日本になってしまった。しかし、「官」がもっと圧倒的な権威を誇った時代にも、おそれいらずに昂然と我が道を行く「民」がいた。その元気な「民」を代表する関西の「私鉄王国」形成の過程を、帝国の支配秩序と対比させながら、生きた思想史としてとらえたのがこの作品である。
 明治5年、新橋-横浜間に初めて開通した鉄道が、明治天皇が勅語で「此線ヲシテ全国ニ蔓布セシメン事ヲ…」と願われたように、わずか30年あまりでほぼ全国を網羅し、明治39年に制定された鉄道国有法でその九割が国鉄になった。帝都東京を中心に放射する国鉄はまさに民心統一のメディアであり、中央集権の強力な装置であった。
 だが、「一地方の交通を目的とする鉄道」だけは国有化の対象から外すという僅かな法の隙間に、私鉄が逞しく繁茂する。とりわけ関西は民草の育ちがよい土壌なのだろう。東京の私鉄は国鉄に付属するように国鉄の駅から枝分かれして成長していったが、関西では独自に根を張って発達し、沿線に新しい生活文化や余暇文化を花咲かせていった。
 その戦略のリーダーは「京阪神といふものは鉄道省にやって貰わなくてもよろしい。そんなことは大きなお世話です。われわれがどんなにでもして御覧に入れます」と啖呵を切った阪急の創業者・小林一三である。まず郊外ユートピアの建設を構想した彼は「最も有望なる電車」「如何なる土地を選ぶべきか、如何なる家屋に住むべきか」といったパンフレットを大量に配布し、「勤務に脳漿をしぼり、疲労したる身をその家庭に慰安せんとせらるる諸君は、あしたに鶏鳴に目覚め、夕べに前栽の虫声を楽しみ……理想的新家屋は提供せられたるに非ずや」という住宅地をローン付きで分譲したり、宝塚温泉や少女歌劇団を開設したり、梅田にターミナル・デパートを作ったり、次々と斬新なアイディアを現実化していった。国家の権力装置だった国鉄に対して、関西の私鉄は民衆の文化装置として機能したのである。
 小林の反官精神をもっとも痛快に視覚化したのは「往来ふ汽車を下に見て北野に渡る跨線橋」と唱歌にもなった梅田の跨線橋だろう。国鉄の大動脈で行幸の天皇も乗られる東海道線を、高架の阪急が初めて跨いで横切ったのだ。
 しかし後にこれが「阪急クロス問題」として、官の巻き返しの象徴的事件に発展していく。昭和に入り、国家主義の台頭につれて帝国の秩序が私鉄王国にも侵攻し、小林の抵抗も空しく阪急は国鉄に道を譲ることになる。
 しかし今もやはり大阪はしたたかな民都である。私のような東京人をしばしば戸惑わせるほど関西の私鉄は「デカイ面」をしているのだが、この本でその育ちがよくわかり、つくづくと納得してしまった。

桐島 洋子(作家)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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